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fiction
さぼてん

 僕が物事をうまく憶えておけないのは、きっとこの暑さのせいだと思う。
 暑い、といってもただの「暑い」とは訳が違う。髪の毛を焦がす勢いの日差しが空 から無遠慮に投げ出され、粘りけのある空気は僕の体に絡み付く。そんな砂漠の中を 何日も何日も、ただ自分の足音だけを聞きながら歩き続けていたら脳味噌なんか溶け て混ざりあって、記憶の箱はそれに乗ってどこかへ押し流されてしまうに決まってい る。記憶の箱本体がなくなってしまうのだから、その中身を取り出すことなんか不可 能なのだ。
 だけどまあ、その中身が必要となることなんて、ほとんどない。それがなくて苦労 するのは、僕が体長10メートルもある龍を退治たことや、凶暴な鰐に遭遇して、それ をどんなに巧みに罠にはめたかということを、何カ月かにいっぺん見つける集落や村 で話すときぐらいだ。食料を分けてもらったり、獲物の潜む林の場所を教えてもらう ためには彼らに少しでも近づいておく必要がある。そのために僕は自分の手柄を一つ ずつ出来る限りリアルに話したいと努力するのだが、この頃それがうまくいかなくな ってきた。おおまかなことは憶えていても、細かいことになるとどうもぼんやりとし ていて、その形がつかめなくなってしまう。瞳を輝かせて僕の話を聞いている人々を 見ると途中で話をやめるわけにもいかなくて、僕はそんなとき自分の創作を交えて話 を進めるようにさえなってしまっていた。

 僕の頭の中で、乳白色の渦が揺れた。軽いめまいがして、仕方なく少し立ち 止まる。しばらくの間夜がないので体が参ってきているのだろう。夜は夜で凍えそう に寒いのだが、こう長く暑い日が続いた後の夜は、暑いよりは寒い方がまだましだと 思い、多少気持ちが休まるものなのだ。
 だがその夜が、今回の旅ではまだ、一度も訪れていない。いくら砂漠を歩きなれた 僕の体でも、がたが来るはずだ。
 僕は腰にくくりつけてある筒を手に取ると、その蓋をひっこぬいた。口につけ静か に傾けてからその湿り気を待つ。だが口の中にはただ筒の中のにおいが伝わってきた だけだった。そのままの姿勢で僕は目を開け、事実を確かめるべく筒をゆっくりふっ てその音がないのを確認すると、今度は筒の入り口から中をのぞき中が空洞なのを知 り、さらに口を下に向けて上下に降るという全く意味のないことまでしてしまった。
 それからしばらくして、僕は筒の底に小さな穴を見つけた。どこで穴などあけてし まったのか見当も付かなかった。その穴の奥の暗闇を僕は呆然と見つめ、見飽きた頃 にその筒を遠くへ力一杯投げた。そうすることが今やるべきことだと、なぜかそのと き僕は思ったからだ。
 さて、これからどうしよう。火照る体の表面とは反対に、体の芯は驚くほど冷えて いた。そして落ちついて物事を考えることが可能だった。水がないと言うことは、つ まり死が僕の視界に入ってきたことを意味する。それなのにどうして僕はこんなに冷 静なのか、僕が誰かに聞きたいほどだった。その理由を少し考えてみたのだが、とり あえず今どうするべきかを考える方が先決だと、僕の冷静な頭がそう命令した。
 考えろと言ったって、方法は一つしかない。このまま体力の続く限り前進を続けて 、水場を見つけるしかない。砂を掘ったって空を仰いで祈ったって、どうにもならな いのだ。
 再び僕はざくざくと歩き始めた。時たま先ほどの渦が僕の脳裏に現れ、それが見え る時間は次第に長くなっていった。そしてその渦の合間に、不思議なことに今まで思 い出せなかった昔の記憶の破片が、見えかくれした。
 そうしているうちに、喉の皮と皮が張り付き、声もまともに出なくなった。毛穴は 開ききっていて、汗が躊躇することなく流れ出る。無駄とは思いつつも額の汗を拭お うと腕をのろのろと持ち上げたとき、突然視線が低くなった。水分を絞り出された体 が縮んでしまったと本気で僕は思ったが、そうではなかった。足下を見ると僕は、砂 に足の裏ではなくて膝を付いている。その足には意識が行き渡っていなくて、自分の 物であると言い切れる自信が、僕にはもうなかった。
 僕はなぜだか笑い出した。声がでないのでひーひーという乾いた音だけが聞こえた 。今までにとらえた獲物たちが僕に捕まったときの鳴き声に、それはよく似ていた。
 笑いながら僕は、振り向いて今まで歩いてきた道に目を向けた。僕が自分の来た道 を振り返るのは、あてにはならない記憶の中を探す限りでは初めてだった。延々と続 く変化のない道を歩き続ける旅の中で来た道を振り返るのは、あまりに恐ろしいこと だからだ。今までの道も、これからの道も、全く同じ様な風景であるという事実を目 の当たりにしたら、とたんに僕は気が狂ってしまうほどの虚脱感におそわれて、きっ と一歩も前に進めなくなってしまうだろうことが分かっていたからだ。
 だから僕が何のためらいもなく背後を振り向いたということは、つまりここが僕の 行き止まりであることを覚悟していたからだとぼんやりそう考えた。だがそうではな かった。ここは行き止まりではなかったのだ。
 僕の目に、見慣れない色が飛び込んできた。緑。ぼんやりとした目に、緑の、さぼ てんがうつったのだ。
 それがさぼてんで、これが夢や幻覚ではないことが分かってから、僕は笑うのをや めた。不自然に顔がひきつる。そしてその顔のまま、僕は膝でさぼてんの方へと近づ いていった。
 さぼてんの目の前にくると、僕の頭は突然はっきりと物事を考えられるようになっ た。自分がどうしてここを通るときにこのさぼてんに気が付かなかったのか、そんな 疑問が少し頭をのぞかせたが、すぐにうすれて消えた。背中のポーチからナイフを取 り出して頭上にかざしてから、僕はその輝くさぼてんのボディーに刃を突き立てよう とした。
「待って!」
 刃が刺に触れるか触れないかのところで、僕はその声を聞いた。見回す気力もなく てそのまま動きを止めていると、待って、ともう一度聞こえた。
「だれ」かろうじて言葉となって僕の声は自分が耳に届いた。
「お願い、水はあげるから切らないで。」
 僕が訳が分からずにぼうっとしていると、その声は不思議な言葉をつぶやいた。透 き通った、懐かしいにおいのする女の子の声だった。
「その呪文を、あなたの口から言って欲しいの。」
 焦点の合わない目で僕は無意識のうちにうなずいた。そして五回挑戦してやっと、 それを言葉として発することに成功した。途端にさぼてんが光始めたので、その眩し さに僕は思わず目をつぶり、ひょっとしてこのまま自分が死ぬんじゃないかと疑った 。しかし眩しさを感じなくなって目を開いても、そこには楽園ではなく、やっぱり同 じ黄色い砂漠の風景が広がっていた。ただ、その風景の中にさぼてんの代わりに髪の 長い色黒の女の子がいたことが、目を閉じる前とは違っていた。
 彼女は何も言わずに僕の鼻をつまむと、口移しで水を飲ませた。彼女は僕が穴をあ けてしまった筒と全く同じ物を左手に持っていて、それから水を自分の口に移し、そ して僕に与えた。ある程度の量の水を飲んでしまうと、僕は彼女の手からその筒を奪 って、後先考えずに喉に流し込んだ。不思議な筒で、いくら飲んでもその重さが変わ ることはなかった。
 息をついて、僕は彼女に筒を返した。まだたっぷりと水は残っていた。
 君は、と彼女を見上げて口を開くと、再び彼女のやわらかな唇が僕の口をふさいだ 。僕の背に手をまわしてからサムナ、と自分の名を名乗ると、今度は僕をきつく抱き しめた。ひんやりとした彼女の体に僕も手をまわすと、とても安らかな気持ちになれ た。僕は彼女を知っている気がしたが、やはりそのことをはっきり思い出すことはで きなかった。

 僕らは、まるでそうすることが当然の様に、二人で歩き始めた。二人で砂の上にす ぐに消えてしまう足跡をつけ、二人で乾いた食料を食べ、水を飲んだ。そして彼女と 出会ってから割合とすぐに、待ちわびていた夜がやってきた。
 偶然にも小さな林も見つかった。木陰に入り、僕らは一つの毛布にくるまった。焚 き火の光に照らし出され寝息をたてる彼女の顔を見ながら、僕は僕が彼女に恋をして いることを自然に理解した。そしてこの気持ちが、この先決して変わることがないだ ろうという奇妙な確信をも感じていた。

 そして僕は眠り、夢をみた。その夢の中で、僕はとても大きな動物を相手に刀を振 り回していた。その獣が手強い敵だと言うことは、その姿を目にしてすぐに分 かった。彼に関するデータ、何を食べ、何を好み、どういう生活をしているか、とい うことは、僕には分かっていた。なぜなら彼は、僕が今倒すことを目的に旅をしている まさにその獣だったからだ。夢の中でありながらも、僕の意識が現実としっかり結び ついていること、またその事実を事実としてとらえられる自分がなんだか不思議だった。
 そこは森だった。彼ががさがさと草をかき分ける音を追って僕は走る。彼の暴走に 驚いた小さな動物や虫達が、行く先を失っておろおろと逃げ出す。僕はそれに構うこ となく右へ、左へ、自分の耳だけを頼りに進んで行く。
 やがて森を抜け出てしまい身を隠す場を失った彼は、身を翻して僕に突進してきた 。僕は器用にそれを交わして、彼を切りつけていった。それは彼の体に深く、あるい は浅く食い込んだ。そして僕も彼も疲れはてた頃に、その決着がついた。彼が足を折 ってその体を砂の上に横たえた。目は開いたまま、しばらくあちこちをぴくりぴくり と痙攣させてから、やがて動かなくなった。焦げ茶色の毛並みを、気怠い風がそっと ゆらすと同時に、森の中から声が聞こえた。彼女の声だった。
 彼女はたおれた獣に駆け寄ると、涙を流してその毛並みに顔を埋めた。その様子を 何を言うでもなく見ていた僕は、次第に体中の血が逆流するような感覚におそわれた 。そして信じられないような馬鹿力で彼女を獣から引き離そうとした。
 彼女は獣を放そうとはしなかった。私はこのひとを愛していたの、なぜ殺してしま ったのと彼女は叫んだ。あなたと一緒に今までいたけれど、彼と出会って私はあなた よりも彼に向かう気持ちの方が強いと知ったの、でも言えなかったと泣きながらそう 僕を責めたてる。
 しばらく口論が続いた。だがなんと言っているのか、いつのまにか分からなくなっ てしまった。そして僕は彼女を無理矢理獣から引き離すと、少し離れた砂の上に放り 出し一言、呪文を唱えた。彼女は一瞬にしてさぼてんに姿を変えた。そして僕は、現 実の世界へと引き戻された。

 凍えそうな寒さの中で、僕はびっしょりと汗をかいていた。そっと隣をうかがうと 、彼女は変わらず規則正しい寝息をたてて眠っている。その顔を見ているうちに、僕 は今みた夢を次第に思い出した。はじめから順に、ゆっくりと、最後の呪文まで。
 最後の呪文。それは僕が彼女に出会ったときに頼まれて、呆然とした意識のなかで つぶやいた、あの呪文と同じだった。
 突然僕の背中を冷気が走った。きっと外気のせいだけではない。時間がたつにつれ てその夢は、次第に鮮やかさを増して僕を眠れなくさせた。
 やがて長い暗闇を光が押し上げて、太陽の光が世界を満たし始めた。夜の間に僕ら は体のリズムに従って四度眠ろうとしたが、僕はほどんど眠りの沼に入りこむことが できなかった。疲れた僕の顔を見て彼女はひどく心配したが、僕はその訳を決して話 さなかった。話せるわけがない。君が僕を裏切ったから、僕は君に呪文をかけて、君 をさぼてんにしてしまったんだ。それは夢という形で僕の前に現れたけれど、僕はど うも、ただの根拠のない夢には思えない。なぜなら僕はこれから、夢で見た獣を倒す つもりで旅をしているし、君が現れた場所にはさぼてんがあったのを、僕は憶えてい るからだ。
 だが、それはこれからおきることの予知なのか、それとも過去の記憶がよみがえっ た物なのか、それが僕にはわからない。
 何せ、僕は物事をうまく憶えておけないのだ。そしてそれはきっと、この暑さが僕 の頭上に降り注ぐ限り、変わることはないのだ。

THE END

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