続編・「六ヶ月」へ
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fiction
一週間


1


 これはとても理不尽な話であると思う。
 死にたくないのに死んでしまう人がいるのに、自ら命を絶とうとする人がいる。
 だったら少しでも生きたいと思う人に、後者の命を与えられればいいのだが、そうはいかないのがこの世なのだ。

 後者を一人、ここで紹介する。
 もうそろそろ春という三月。
 彼は家への道を、重い足取りで歩いていた。
 こぎれいで小さなマンションに入っていき、エレベーターのボタンを押す。
 三階で下りて少し歩くと、おもむろに彼は鍵を取りだし、中へ入った。
 ぱっと電気が付く。部屋は意外とすっきりと片付いていた。
その中央に、彼はどさっと腰を下ろした。
 少しして、やっと彼は息を付く。「・・・今日で最後か・・・。」
 そう言うと、ゆっくり腰を上げ、窓のほうへと歩いて行った。
「飛び降りるつもりなの?」
不意に声がして、彼は振り向く。そこには、髪の長い女の子が、すっと立っていた。
いや、立ってはいなかった。座ってたわけでもない。・・・足がなかった。
「君は・・・」ぼっとしていた彼にはよく状況が理解できない。振り向いた姿勢のままそうつぶやいただけだった。
「死ぬつもりなのね?」
彼の変わらない表情を無視して彼女はもう一度聞いた。
その質問には答えず、彼は口を動かす。
「君・・・幽霊・・なわけ?もしかして・・・」
少し考えて彼女は答えた。「そうだと思うわ。」
「幽霊って事は・・・もう死んだの?」
「・・・ええ。おとといの夜。自動車に跳ねられたのよ。」
彼女は少し顔を曇らせた。「まだ死にたくなかった・・・」
「ちょ・・・ちょっと待ってくれよ・・。俺、何が何だか・・・」
「夢じゃないわよ。・・・座って。落ち着いて話を聞いてほしいのよ。」
「わ・・分かった。待って、コーヒーでも入れるよ・・。」
うつろな顔で、彼は台所へ向かった。幽霊にコーヒーというのも妙だと思うが、そこまで彼は頭がまわらなかった。

*   *

「俺・・・東 勍也。・・・今度大学三年になる。」
コーヒーをすすってぽつんと彼は言った。「・・・君は?」
「何も・・・もう覚えていないのよ。あの瞬間に、すべて忘れてしまったの。ただ・・」目の前に出されたコーヒーカップを少し見下ろして彼女は少し黙り込む。
「ただ?」
「とてもやりたかった事が・・・・やらないといけないって思ってたものがあった気がする・・・それだけがまだここに残ってるみたいなの。」
そう言うと彼女は頭を指した。
「やりたかった事か・・・。」
「ねえ、・・・何で死のうとしてるの?」
彼女は勍也の顔をのぞき込む。「・・・別に飛び降りようなんてしてないよ。」
「でも死のうと思ってるでしょ?顔に書いてあるわよ。」
少し黙り込んでから渋々と勍也は答える。「・・・まあね。それより・・・」
勍也は続けた。「なんで、君はこんなところに突然現われた?俺は生前の君を、見た事も ないし当然あった事も・・・・」
「あ、ええ。実は・・・」そう言うと彼女は口を閉じた。
「なに?」
「・・・うん。その・・。」
「いいずらい事?」
「・・・・そうなの。・・・ごめん、その・・」
彼女はなかなか言おうとしない。無理に聞くのも何となく悪いような気がして、勍也は彼女の顔から目をそらした。
「俺さ・・・ダンサーになりたいんだ。」
彼女が勍也の声に顔を上げる。
「昔からの夢でさ。子供の頃に・・・見たミュージカルが、忘れられないんだ。」
勍也はふっとうれしそうに笑って続けた。
「俺もいつかあんな舞台で・・・ライトを浴びて踊ってみたいってずっと思ってた。大学受かって、やっぱりまだ夢捨てられなくて、オーディション何度も受けたよ。」
「それで・・・?」
「いつも、最終審査まではいくんだ。」
すっと勍也は立ち上がった。「そこで落ちるんだ、必ずね。」
「・・・そんな・・・」
「そうなんだ。」
はっきり言うと、勍也はさっきの窓に歩いて行く。
「それでこういわれる。実力はある。確かに素晴らしい。でも今一つ人を魅了するものがない。」
「だったらもう少し練習すれば・・・」
「もういいよ。ああ、ほら・・・」勍也が空を見上げる。「星、きれいだよ。」
すーっと彼女も勍也のとなりへ移動する。
「・・・・もう・・・いいんだ。」
「いいって・・」
「・・・今日、彼女とも別れてきた。」
そう言うとすっとポケットから小瓶を取りだす。「俺・・・死ぬよ。」
「勍也さん」
瓶の蓋を開けようとする勍也の手を、彼女が押える。
じっと勍也の目を見つめて、そしてこういった。
「それなら、死ぬ前に、私の事を・・・調べてくれないかしら。」
「君の事?」
「私・・・このまま忘れたまま逝きたくないの。でもこの体じゃ・・・」
普通に話していれば何とも思わないのだが、やはり足がない。膝あたりまでのフレアスカートの下は、すうっとぼやけて、あちらがのぞけるのだ。
「だけど・・・調べるって言ったって・・・」
「家の場所は分かるわ。出てきた道をたどれば。」
「でも俺はせっかく死のうと・・・」
「一週間。今のあなたにとって、時間なんて勿体なくないんでしょ。」
「だけど・・・・」
「ね。最後に思いっきり遊ぶのもいいじゃない。調べてから、遊びまくろうよ!」
ふっと彼女が笑った。
その時、彼女のために何かやってやるのもいいかと、勍也は彼女の笑顔に思った。


2


[ここ?」
「そうだと・・・思う。多分あの窓から・・・・あ、ちょっと待ってて。」
そう言うと彼女は二階の窓へすっと飛んでいく。「便利でいいよな」
その家の門には、『朱野』と言う文字を掘った板が掲げてある。
『朱野 武雄・裕紀子・一利・悠梨』
朱野 悠梨・・か。
恐らくそれが彼女の名前だろう。
きれいな家である。まだ新築して間もないようだ。
家の中はしんとしている。・・・彼女の葬式が終ってまだ間もないのだ。
「やっぱりここみたい。」
いつの間にか彼女・・・悠梨が勍也の後ろにたって・・・いや浮いている。
「この写真・・・」
そう言って一枚の写真を差し出す。確かに彼女だ。
夏服を着て微笑んでいる。ここは海だろうか。
「そうみたいだな。」
「これが、机のうえに」
悠梨は、手帳を差し出す。オレンジの、使い古された手帳。
「いいの?見て。」
「ええ。あなたが先に見て。」
勍也は手帳を開いて中を見る。いろいろと書き込んであるようだ。
「名前・・朱野悠梨。性別、女。年令、19。」
「大学生・・だったのかあ。朱野悠梨・・・うん、いい名前ね。」
少し得意げに悠梨はつぶやく。「それで?」
「R大学英文科一年生。おい、R大の英文科っていったらかなりいいところだぞ。」
「英文科かあ。」
悠梨が真面目な顔で考え込む。
「どうした?」
「うん・・・・。ねえ、・・・3月16日。何て書いてある?」
「君が死んだ日?」ぱらぱらっと手帳をめくる。
「義昭の誕生日。パーティー忘れるなよ」
乱雑な字で大きくそう書いてあった。
そのパーティーに行く途中か帰りに、この子は・・・。
「義昭・・・」
悠梨の目は宙を見つめている。「・・・恋人?」
「分からない。覚えてない・・。」
大粒の涙が悠梨の目からぽろぽろ流れ出る。「覚えてない・・・」
勍也は突然の事に呆然とした。
泣いてる幽霊を見ながら、勍也は昨日の悠梨を思いだしていた。
 まだ、死にたくなかった・・・・
その言葉がエコーをかけて繰り返し胸に響く。
この子にとって、昔を調べるってのは、辛い事だよな。
きっと神様は、それが分かってて彼女の記憶を消してしまったんだ。
俺、それでも一緒に調べてやるべきなのか?
「あの・・・」
うまく切りだせなくて勍也は思わず声を出した。
「やっぱり・・・・やめてもいいよ。」
その声にはっとして悠梨は勍也のほうを振り向く。「あ、ご・・ごめん!」
「無理に過去の事なんて・・・」
「ううん、いいの。行きましょ、彼の家に。」
ためらう彼の言葉を遮って、悠梨は強くいい放った。「・・・いきましょ。」

*   *

義昭・・・阿川 義昭の住むアパートは、悠梨の家から歩いて数分だった。
「や、君か?悠梨の友達・・・だったって」
「あ、ああ。ごめん、突然電話して。ちょっと聞きたい事があってさ。」
「いいよ、どうせひましてたんだ。・・入れよ。」
そう言うと義昭はドアを大きく開けて中へ歩いて行く。続いて勍也と悠梨も中へ進む。
・・・断わっておくが、悠梨の姿は勍也以外には見えない。心配ご無用である。
「・・・・へえ、いい部屋だな。」
決して広くはないのだが、必要なものがうまくおさまっていて、使いやすそうである。 「悠梨が・・・選んでくれたんだ、この部屋。」
台所から顔を出して義昭が言う。「でも・・・もうここ出ようかと思って。」
それを聞いて、悠梨の顔が曇る。
 勍也は適当に腰を下ろすと、義昭からコーヒーを受け取った。」
「俺、東勍也。W大の二年。今度三年になる。」
「R大三年?あれ、でも悠梨の友達って・・・」
「あ・・ああ!高校ん時に、委員会で一緒で・・・」
「そっか・・・。あいつ六年制に行ってたんだっけか。」
「そ、そうだったんだよ。で、いろいろとあって親しかったんだ。」
何とかフォローする。「君は?悠梨の恋人だったの?」
コーヒーを飲んでいる顔を上げて少し考える。
「多分・・・ね。」
「多分?」あいまいな答えを勍也は聞き返す。
「友達以上恋人未満・・・ってやつかな。悠梨はああだったから・・・恋人って限定した関係になりにくかったんだよ。・・・俺は、好きだったけどね。
義昭は目を落とす。しばらく二人とも黙っていた。
「・・・なあ、彼女、高校ん時、どんなだった?」
「え?」
「今みたいにはめはずしてたんだろ?」
「あ、ああ。せ、先生にしょっちゅう怒られたりして・・」
(な・・・何よそれ!)思わず悠梨が口を出す。だがもちろん義昭には聞こえない。
「やっぱりそうか。でも、勉強はできるやつでさ。」
義昭は続ける。「しっかりしてたよ。・・・俺、そこに惚れてたのかな。」
「俺もさ、実は好きだったんだよ。朱野・・のこと。」
(は?・・ち、ちょっと勍也さん!)
(いいから!)
肩をたたく悠梨を押える。
「亡くなったって聞いて、ショックだった。朱野の家にも行ったんだけど、気の毒で何も聞けなくて・・・。朱野の部屋にあった写真に、君が写ってたからそれで」少し言葉を切って勍也は続ける。「写真を・・・一枚でももらえないかと思って。」
「写真か。・・・分かった、ちょっと待ってて。」
そう言うと義昭は奥の部屋に消えていった。
 どさっという音がして、義昭が早足でこちらへ歩いてくる。
 大きなアルバムを三つ、腕に抱えていた。
「大学入ってからのだよ。」そう言って三冊を床に置く。
「え!こんなに?だってまだ入ってから一年だろ?」
「それだけ遊び歩いてたんだ。」義昭はアルバムをめくり始める。
「へえ・・・」
 毎日課題に追われている俺たちじゃあできないよなあ・・・。
羨ましく思いながら、義昭のめくるページに目をあわせていく。
 そこにはいつも、10人ぐらいの男女が、楽しそうに笑っている。
 悠梨はその中で、いつも義昭と目立つところにいた。
「何となく気の合うやつらで、あっちこっち行ってたんだよ。そのうちオーストラリアでも旅行しようって、みんなでバイトして金ためてたんだけど」
義昭が言葉を切る。「もう・・・」
今になっては、悠梨の明るい笑顔は、義昭に取って辛いばかりだろう。
「あのさ・・彼女、何かすごくやりたいって言ってたこと、あった?」
「やりたいって・・・ああ、語学留学かな。」
「語学留学・・」
「もう内定してたんだけどね。来年早々に。キャンセル扱いになってんだろうな。」
「そうか・・・。」
「何でそんな事を?」納得している勍也に不思議そうに義昭は訊ねる。
「あ、いや・・・その、なんかかわりにできる事なら、やってやりたいなって思ったんだよ。」
 気に入った写真を一枚もらうと、勍也は時計を見て、帰る事にした。
 ネガがあるやつを、焼き増ししても構わないと言ったが、義昭はためらわずに一枚はがし取ってくれたのだ。
 ドアを出る時、義昭は言った。
「なんかあんたといると落ち着くんだ。またいつでも遊びにこいよな。」
人懐っこい笑顔でそう笑う。
・・・・・確かにいいやつだな。
何となくいい気分で、勍也はアパートを後にした。

*   *

「一日で分かっちゃったな。いろいろと。」
「・・・・うん。」
帰ってきて無口な悠梨に、勍也は話しかけた。
「ショックか?」
「うん・・・やっぱり、ちょっとね。」
「義昭っていい奴だな。君の選択は間違いじゃなかったみたいだ。」
「私も、好き・・・だったのかしら。」
この質問にはさすがに勍也は答えられなかった。
「もう・・・逝くの?」
「ううん。言ったでしょ。一週間はいるって。明日は遊園地でもつれてってよ。」
「遊園地ィ?だってその体で?」
「お金かかんないわよ。」
「はたから見たら俺って、暗い奴だろうなあ・・・。一人で乗るんだぜ?」
「いいじゃないの!ね、いこうよお。」
「分かったよ!全く。何て幽霊だ!」
半分やけになって勍也は叫んだ。


3


 その日から二人は遊びあるいた。日は、二人をせかす様に瞬く間に過ぎだ。
 一週間はあっと言う間にたってしまった。
 その日、水族館に言った帰り道、二人は悠梨の家に向かっていた。
 悠梨が突然言いだしたのだ。
「ちょっと待っててね。」そう言うと、この前と同じ様に悠梨はあの窓に消えた。
一週間・・・早いもんだな・・。
 空はもう茜色に染まっている。
 その空から、悠梨は舞い戻ってきた。手には・・・一冊のノート。
「なんだそれ?」
「いいの。・・・・帰りましょ。」
それから悠梨はマンションに帰る間で、一言もしゃべらなかった。
ノートを抱えて、口をぎゅっと結んでいる。
 そしてマンションに帰ってからも、彼女はずっとそのままだった。
 じっと座って、そのまま動かないのだ。
それが一時間続いて、勍也はとうとう口を出した。
「どうした?」
声をかけると、悠梨がノートを開く。「・・・やっと、分かったの」
「え?」
かすれる悠梨の言葉をもう一度聞き返す。
「分かったの・・・やりたかった事が。」
「あ、でもそれは」
語学留学じゃ・・・
「違ったの。・・・気になってたわ。これね、日記帳なの。」
目を落として悠梨はつぶやく。「この前見つけたんだけどね。・・・怖くて見れなかったの。」
「見たの?」
悠梨はぱらぱらっとページをめくって、静かに読んだ。
「3月15日。今日は春に行くスキーと、明日のパーティーの相談をした。明日は午前しかないから、その後義昭の家に直行。私は別行動。ケーキと、プレゼントを買ってから行くこと。そして必ず、義昭に気持ちを打ち明けること。明日が待ち遠しいけど、怖い気もするなあ。」
「悠梨・・・」
そうだったのか・・・・。
「私・・・伝える前に死んじゃったのね・・・。」
そう言うとノートを閉じた。
 二人とも、しばらく黙っていた。
 暗闇が、このまますべてを消してしまいそうだ。
 そう思いながら、勍也は一点を見つめていた。
 ふっと、空気のような言葉を悠梨が言った。「私・・・逝くわ。」
「え」
「ありがとうね、いろいろと。一人で逝くわ。」
すっと浮き上がる悠梨に、勍也は慌てた。
「ち・・・ちょっと待ってくれ!俺も・・」
「だめ!!」
あまりにも強い語調に、勍也は驚く。
「言ったでしょ。一人で逝くって。あなたはここにいて。」
「何言ってんだよ。俺は初めから死ぬつもりで」
「お願い!!お願いだから死なないで。」
「悠梨・・」
悠梨は悲しげに振り返ると、勍也に言った。
「私ね・・・。あなたの命を持って帰れば、もう一度生き返れるって言われたのよ。」
「何だって?」
悠梨は続けた。
「死のうとしているあなたの命を、変わりにくれるって、そう言われたわ。でも、あなたに会って、すぐにそんな事できなかった。あなたの目は夢で一杯だった。あなたはまだ可能性があるのよ。そんな人の変わりに生きるなんて、私には」
勍也は呆然としていた。馬鹿な!そんな事あり得るのか?
・・・でも悠梨という幽霊が、現にここに存在している。
「ごめんなさい。一週間って言うのは、私、考える時間が欲しかったの。調べてって言ったのは口実よ。興味がなかったわけじゃなかったけど。」
「そっか。」
そうだったのか。
勍也は何の疑問もなくそう答えた。もう疑うものなんて何もない。
「でももういいんだよ。俺、君に生きてほしいんだから。」
悠梨が顔を上げた。「変わりに生きてくれ。な?だから・・・」
「だめよ!この一週間で分かった。あなたはまだ生きられるわ。生きようとしている。そんなに簡単に死んだりしないでよ!」
「悠梨・・・」
「夢を捨てないで。あなた、私の事調べるのに、あんなに必至になってくれたじゃない!勍也さん、あなたは生きられるのよ?」
悠梨の目から涙が零れる。「お願い・・生きてよ・・・」
「君は、もう一度生きたいんだろ?」
しがみつく悠梨の髪を、そっと撫でて勍也はいう。
「俺さ、悠梨が好きだ。」
自然に、それは言葉になって勍也の口から出た。
「俺も、この一週間で、生きてもいいかなって、君と一緒にいて思った。でも君がいたから。わがままだけど、君がいないなら、きっと生きようと思わないんだよ。」
「勍也さん」
悠梨は驚いた顔を見せたが、すぐにこう言った。
「私も・・・きっとあなたの事が好きなのね。」
涙を拭いて悠梨が笑う。「だからあなたに生きてほしいの。」
悠梨・・・
「私はこれが運命だったのよ。・・・・仕方がないの。」
「でも!」
「生きて、勍也さん。そして、もう一度オーディションを受けてみてよ。」
「もう一度・・・」
「今のあなたなら必ず受かるわ。それだけ・・約束して。」
もう何も言えなかった。これ以上悠梨を引き止めておく事なんて出来なかった。勍也は首を縦に振った。
 それを見て微笑むと、悠梨の体はうすれ始めた。
「悠梨!!」
後ろ向きの悠梨を、勍也は思いきりだきしめた。
「悠梨・・・・ありがとうな・・・」
「・・・・・オーディション、頑張ってね。必ず受かるわ。」
「・・・ああ。」
ふっと悠梨の姿が消えた。
 そして勍也はしばらく、そこに立ち尽くしていた。


4


 あれは夢だったんだろうか・・・
 段々に実感が薄れていく。
 悠梨が消えて、一か月たった朝だった。
 勍也はオーディション会場に既についていた。もう三十分もすれば審査がはじまる。
 まわりが騒然としている中で、勍也は不思議な程冷静だった。
 必ず受かる・・か。
勍也にも、何となくそう思えていた。今までとは、何か違う気持ちだ。
「受付を始めます。」一斉に長い列ができる。
勍也も列に並ぶ。書類を出して受付を済ます。
ナンバープレートには、・・・315と記してあった。

*   *

 受けた人数は358 人。三回審査が行なわれて、30人に絞られる。
 当然勍也もその中に残っていた。
 その中で選ばれるのは20人
「それでは発表します」
大きな舞台に、無表情な声がこだまする。「番号を呼ばれた方、前へ出てきて下さい。」30人の表情に緊張がはしる。番号が読まれた。
「3、7、21、66、85、89、91、92、102、119、123、128、139、140、167、182、205、260、271、280、281、285、291、304、308、315、322、324、333、335。以上です。」
前に出ていく人の動きの中で、勍也はしばらく動けなかった。
・・・受かった。
「ああ、ええと、東君。ちょっと前へ。」
「あ、はい!」
慌てて勍也は前へ出る。
「君には、メインをやってもらうよ。」
「は?」
「主役だ。・・・よろしく頼むよ。」
「俺がですか!?本当に?」
「ああ。・・・君、この前も受けたよね。驚いたよ。別人の様だ。」
審査委員長らしいその男は笑った。「文句なしだ。・・・何かあったのかね?」
「え・・・あ、はい。」
「そうか・・・。とにかくこの調子で頑張ってくれよ。では解散だ。」
彼の一言で、すべてが動きだした。
悠梨・・・。そうだったのか!
こんなに簡単な事だった。
あのミュージカルを見て夢見てた、あの気持ちで踊ればよかったんだ。
俺は、その気持ちを・・・失いかけていた。
 やっと探しものが見付かった。
 勍也はふっと笑うと、人混みと一緒に更衣室へ姿を消した。

*   *

 外はいい天気だった。
 秘に花の匂のする空気を胸に吸いこみ、勍也は歩き出した。
 久しぶりに、キャンパスに行って見ようかな。
そう思って振り返る。とたんに、誰かにぶつかった。
「あ・・ごめんなさ・・・」
ぶつかった彼女が、思わず言葉をのんだ。
振り向いた顔は・・・一か月ぶりに見た懐かしい顔だった・・・・。

THE END

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