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そんな雨の日


1.雨


 雨・・・。
 雨が降っている。
 京はおぼろげにそう思った。
 気が付いてはいたのだ。雨が降り始めたのは大分まえだ。 京はその時からずっと見つめていて、やっと今、なんの気なしにそう思った。
 要するに別に、彼女にとって、この雨が深い意味を成しているわけでは ないのである。
 日曜日の午後にぼーっと外を眺めるのが、いつの間にか彼女の習慣行事と なっていた。ただそれを執行していただけだった。
 別に友達がいないわけではない。まわりの普通の高校生の様に、 遊んでもいたし、テストに悩んだりもしている。ただ・・・・ただ彼女には、 生きている目的というものが全くなかった。何となくやるべき事をやって、 一日を過ごしていた。自分がどんな人間なのかすら、理解できていなかった。
 そんな自分に京はなぜか不安を感じた。同時に、もどかしくも思った。 京の心におこった、生まれて初めての異変が、このごろの彼女を少し 苛立たせていた。

 雨。
 雨だった。
 見つめているうちに、雨がその心を少しずつ落ち着かせていったらしい。
 京はなぜかを考えなかった。別に考えようとも思わなかった。
 何も考えずに、ひたすら雨を見つめていた。


2.進路


 一人、親友がいた。
 別に特に趣味が合うわけでも気が合うわけでもなかったが、一緒にいると 楽しかった。
 京の通う高校の同じクラス。
 名前は綾花・・・橘 綾花と言った。
「進路?」
「そう・・・もうそろそろでしょ?考えておくべきじゃない?」
突然の聞きなれない言葉に京はちょっとびっくりした。
「そんな事言われてもなあ・・・。私、特になりたいものなんてないし・・・」
「じゃあ好きな教科とかは?」
「点数が取れる教科は好きよ。」真面目とも冗談ともいえない口調で京は言った。
そうか・・・私、もうそんな歳なのか・・。
「綾花は?」
「私?私はねえ・・・」
少し上を向くと綾花は答えた。「化学が好きだから、多分そっち方面に手を 延ばすと思うの。」
「化学か・・・。」
 少しでも目途がたっている綾花が、京には羨ましく感じられた。
 京には、本当に全くやりたい事がなかった。大学に行くかそれですら、見当 が付かないのだ。成績はまあ並で、特にずば抜けてできるものもなし・・・で ある。
 そうちらほらと考えだした頃に、綾花の言った進路の決定の締切が言われた。 今決める事は、とりあえずは文系か理系かなのだが、それだって、京にとって これを選ぶというのは、大変な選択であった。
 そんなうちに綾花は理系を選んで、京より一足先に人生の分かれ道を進み始 めていってしまった。
 締切までに日があるとはいえ、京は焦った。
 そしてもう一面で、京が不安と孤独を感じたであろう事は、言うまでもない。


3.喧嘩


「あ〜あ、もうやめた!」京はぱたんと教科書を閉じた。
そんな突然勉強したって、成績上がるもんじゃないわ。
 半分諦めのような気持ちで、京はベットに倒れこんだ。
 ごろりとあおむけになると、カレンダーの数字が目に入ってくる。あと一週 間ちょっとで締め切り。
 運命のその日を囲んだまるが、その中で目立って見える。
 やりたい事なんて、本当に何にもないのに・・・。
 少し天井を見つめてから、京はがばっと起き上がった。「もう寝よ」
 ふとんにのそのそと入り込み、目を閉じる。でも京は、なかなか眠れない。
 こんな事は、京にとって初めてだった。生まれてからこの十六年間、こんな に悩んだ事はなかったのだ。しかもこれは自分の人生を左右するような選択。 京が困るのも無理はなかった。
 私にどうしろって言うのよ!
 それから一時間、京は心の中で自問自答を繰り返した後、やっと眠った。

*   *

 したがって次の日、彼女の機嫌が悪いというのは、仕方なかったのかも 知れない。
しかし、それを綾花にぶつけたのは間違いであった。要するに『喧嘩』である。
 原因は、大した事ではない。綾花の好きなタレントをけなしてしまった のである。綾花の入れこみ様ときたら全くついていけないと、日頃京は思って いた。しかしそうつっぱねるわけにもいかず、今までは何とか調子に合わせて きていた。ところがこの日の彼女の心理状態で、そんなことができるわけがな い。あとはご想像にお任せする。
「何よ全く!何であれごときで怒るわけえ?」
 放課後の廊下を、部室にむかいながら京はぐちった。ちなみに、京は 新体操部である。
 校舎から部室の並ぶクラブ棟まで少し歩く。京は今その道中にいた。
「だいたい何であたしが、毎日あんなヘナ男の話、無理して聞いてなきゃ いけないの?」
「聞かなきゃいいじゃん」
「え?」突然声がしたほうを思わず振り向く。「なんだ、沼洲くん」
「なんだはねえじゃんか。何、今日のあの喧嘩の事?」
「ああ、見てたの?」少しそっぽを向いて京はいった。
「あれだけ大声で言いあってたんだから、あの教室にいりゃあね。」
「原因はくだらないのよ。」
「そおだろうな。女の喧嘩なんて」
「なあによ?」ぐっと沼洲の顔をにらむ。
「いえいえ。なあんでも。」
「いいのよ。私だって分かってるし、遠慮しなくて。幼いわよ、私たち。」
京は半分開き直って言った。「それより体操部、今年はどうなの?」
京は何となく話をそらした。あまり綾花との事を話したくなかった。
・・・・今の気まずい綾花との関係を、あまり考えたくなかったのだ。


4.困惑


 そう簡単にはかたがつかなかった。
 綾花は京を無視し続けた。
 不思議なもので、それからと言うもの、京には綾花の行動一つ一つが気になっ て仕方がなかった。他の人と親しげにしていると不安になり、自分がいるはず の位置に他の子がいるとはらがたった。
 私ってこんなに独占欲強かったのか・・・・
 あらためてそんな事に京は気付いた。
 ・・・そりゃあね、少しは私も悪かったとは思ってるわよ。
 数日後、謝ろうかなと思うようになったのには、もう一つ理由があった。
 例の締め切りの日が近付いていたのだ。綾花に相談にのってほしかった。
 そして後二日となった日の放課後。
   その日も雨だった。
 大会が近いのに、京は練習に集中できなかった。何もかも、今の京の 不安の原因はすべて綾花だった。
 あ・・
 ふと、京は思った。
 そうよ、私が謝る必要なんてないわ。
 そう思った瞬間にまわりの霧が、すっと晴れた気がした。
 あんなにわがままで見栄っ張りな綾花となんて、別れちゃえばいいのよ。
「菱田さん!」急に名前を呼ばれて京ははっとした。「あぶないっ!!」
まわりに大きな悲鳴を聞きながら、京は平均台からマットのうえに倒れこんだ。

*   *

「あいた・・・」
 まだちょっと痛むなあ・・・。
 京は頭を軽くふった。
 倒れたのがマットのうえで大した事はなかったのだが、コーチや上級生には大分うるさく言われた。京は一応、今度の大会のホープなのだ。
「さっきの見たぞ。」
 横に並ぶ沼洲を見て京は言い返す。「嫌味なら結構よ。」
「何考えてたんだよ。」
「別に。」
「別にって事はないだろ。今日の演技、いつものおまえの演技と程遠かったぞ。」
 京はちょっと驚いた。「・・・そんなに違った?」
「ああ。」
 コーチにはほとんど注意されなかったのに、沼洲くんは気付いたんだ。
「分かった・・・・。全部話すわ。」


5.夕暮れ


 公園にはもう電燈がつき始めていた。
 人もまばらになった公園で。雨はまだ、ぱらりぱらりと降っていた。
 小さなぶらんこに座って、京はぽそぽそ話した。
 小さなぶらんこをこいで、沼洲はじっとそれを聞いていた。
 やがて京は口をつぐみ、少し風が吹いた。
「で、橘とは別れんのか。」
「・・・・・。」
「まあ橘にとっては大事なものを、一番分かってくれてると思ってたおまえに けなされたんだ。・・・ちょっとショックだったんだろうな。」
「え?」
「たった一人の親友として、きっと信頼してるはずだよ。」
「私の事を?違うわ。あの子は私をそんなふうには思ってないわよ。」
「自信もてよ。橘のこと一番知ってるの、お前なんだろ?」
「・・・・・。」
「俺さ、カウンセラーじゃないし、アドバイスなんかしてやれねえけど・・」
よっと沼洲がブランコから飛び降りる。
「橘のいいところ、知ってるんだろ。悪いとこだけじゃなくてさ。」
「綾花の・・」
「今まで付き合ってきて嫌なところばっかり目にはいるようなら、一年も二年も 一緒にいられないはずだろ。橘だってそうだよ。おまえのいいとこ見てたから、 二人一緒にいたんだ。」
「あ・・・」
 何となく、京の頭の中に、綾花とあってからの日々が浮かび上がる。
「仲直りしろって。俺、今日みたいな菱田の演技じゃ、見てもつまらねえよ。」
 沼洲くん・・・
「悪いとこ責めあってたんじゃ、喧嘩なんか何回したってきりないよ。 うまくカバーしていけば、きっと・・・・。」
「沼洲くん・・・。もしかして経験あり?」
思わず聞いた京の言葉に、少してれくさそうに沼洲は答える。
「・・ああ。俺も昔萩原と喧嘩してさ。おんなじ事考えたんだ、お前と。」
「萩原君と?信じられない・・。」
「その時に、兄貴の彼女がそう言ってくれた。彼女、カウンセリング やっててさ。」
「何だ、じゃあ今のって、その人のうけうりなわけ?尊敬して損した!」
二人は顔を見あわせて笑った。「あ・・・雨やんでる。」
 傘をたたんで京は空を見上げる。
 空はすっきりと雲一つない。
 今まで京の心に降っていたしとしと雨も、いつの間にかやんでいた。
 一緒に流していってくれたんだ・・・。
 京は久しぶりのすがすがしさに息を吸いながら、ふと沼洲を見た。
「沼洲くん、濡れたんじゃない?雨降ってるのにブランコこいだりするから。」
「まあ、たまにはね。」パンパンと水をはらう。「よし、帰るぞ!」
もう頭しか見えない夕日を見ながら京も立ち上がった。
「あたし・・・謝るわ。」
何気なく、京はそう言った。ふと、自然に口に出たのだ。
 そんな自分に京は少し驚いて、少し笑った。
 沼洲も少し驚いた顔をして振り向くと、小さく微笑んだ。
 家への道を並んで歩きながら、京は沼洲にそっと感謝した。
この感謝の気持ちが、違う感情に変わるのは、きっとそれからすぐのことだろう。

THE END

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