1 2 3 4 5 6 7 Wd8 9 10 rightLine

[ Writings Index ]

Write it down.
page 8
2002.1.5-12.24


12.24(Tue)

 今年の夏に、ヨーロッパで大規模な洪水があった。
 その際、トラやゾウなど、体が大きく、避難させることが難しい動物を、安楽死させている動物園があった。どうしようもないとはいえひどいことするなあ、とやりきれない気持ちで観ていたのだが、そのニュースを読んでいたCNNのキャスターが最後にただ一言、「飼育係の人は、さぞつらいことでしょう」と締めくくった。
 その通りだ。今まで横目で観ていた画面を振り向くと、もう違う表情で次のニュースを読んでいる彼がいた。
 日本の民放のニュースだと、おそらくここで「気の毒ですね」とか、感情的なコメントのやりとりがあるんだろうな、と勝手に想像をする。たぶん私も、そういうコメントが出てくるだろう、と無意識に考えていたのだと思う。だから、はっとして画面を思わず振り返ったのだ。
 そう、こういうときに、外から「なんてかわいそうなことをするんだろう」と、手を下す人を責めることは簡単だ。でも、当事者がその決定に至るまでに、どういう過程があったのかを考えないで、安易に一方の肩を持つ、というのは危険だと思う。気を付けよう。

 そのコメントを読んでいたキャスターのことが、実は私はそれまでどうも好きになれなかった。全くの私の偏見で、こういうことを言うから嫌い、とか確たる理由があるわけではなく、なんとなく、顔が好きではなかった。が、その一言を聞いてから、その人を結構好きになってしまった。と同時に勝手にイメージで好き嫌いを決め手はいけないなあ、と反省。

※調べてみたら、CNNRichard Questさんというキャスターだった。三枚目なのに、二枚目風のプロフィール写真がちょっと笑えます(←失礼)。


12.2(Mon)

 Scinentific Americanの定期購読をしている(日本版は、『日経サイエンス』として出ています。ただし、一部、日本版のみの記事が入っているようですが。)科学ネタの雑誌なのだけれど、あまり専門的な勉強をしていない素人でも楽しめるように書いてあるので、面白く読める(全部ではないけれど)。昔授業ですこし習ったかも・・・という程度の知識と、英語を読もうという気力で、今のところ楽しんでいる。
 今回は、付録でCD-ROMが付いていた。Roche社という、遺伝子を扱っている大会社の、遺伝子に関するEducation Programとある。ふーん、と何の気なしに中身を見てみたのだが、この出来の良さに驚いた。
 別にすごいムービーが入っているとか、壮大なBGMが流れるとか、そいういうことは一切ない。が、遺伝子の基礎を勉強するための情報が盛りだくさんで、イラストも豊富。ナビゲーションもとてもわかりやすく、そしてセンスが良い。派手ではないけれど、必要なところにとても手をかけているCD-ROMである。
 内容以前に、ここまで手をかけたという事実に感動してしまった。宣伝や、PRのためのCD-ROM(広告も)というと、ぱっと見目立つものをつくりがちだけれど、そういうことだけじゃなくて、もっと地に足の着いたやり方があるんだなあ、と改めて感じた。


10.30(Wed)

 無駄な買い物をしなくなったなーと思う。
 昔みたいに、友達に聞いたり雑誌で見かけたものを片端から試して、使い切らないうちにまた次のものを買ってきてしまう、ということはなくなったということ。シャンプーはこれ、化粧品は全部ここのメーカーの、洋服はこのブランド、と、生活用品において、自分に合ったものを見つけることがだいたい出来るようになったので、手に入れたものはきちんと全部使いきるし、同じ種類・違うメーカのヘアフォームが何本も棚の奥に潜んでいる、ということもほとんどなくなった。
 そうなると気持ちも楽だし、後ろめたさもないのだが、これは「守りに入った」ということかもしれない。新しいものを試さず、私はいいのこれで、と、一度見つけたものに固執しているとも言えるのではないか。
 ちょっと不安に感じて、買い物をしているとき、あまり興味のないフロアにも、出来るだけ足を向けるようにしているこの頃である。


10.8(Tue)

 先日、友達の披露宴に出席した。
 こういうハレの場に出ることはまだ二度目で、ただでさえも緊張していたのだが、それに加えてスピーチも頼まれた。スピーチを頼まれた、ということ自体は嫌なことではなかったけれど、いろいろな立場の人が参加している場で話す、というシチュエーションは、私をさらに緊張させた。緊張をまぎらわそうと、まわりの人に、スピーチをすることを話して歩いていた。
 私はあまり慌てたり焦ったりしているところを、それと分かるような形で表に出さないと思われることが多く(実際は人以上に臆病者なんだけれど)、従って大抵の反応は、「え、あなたでも緊張するの?」といったもの。あとは、「そうだよね、緊張するよね〜」という同調するものが多かった。自分の経験から、アドバイスをしてくれた人も多かった。
 勿論、アドバイスはとても有り難かったのだが、結果的に一番私を楽にしてくれたのは、大学からの7年来の友達二人の言葉だった。前日に、新郎新婦が取ってくれたホテルで彼女たちに、無茶苦茶緊張してるんだけど、なかなかそうは見られないみたいだ、と今までの周りの人の反応を話すと、

「え〜? やながわが、かちこちになって話している姿、簡単に想像できるよねー」

と二人そろって言う。私は、え?と驚いたのだが、同時にその瞬間、肩の力がふっと抜けた。長くつき合うっていうのは、そして長くつき合ってこられたというのは、つまりそういうことを知っていてくれる、ということなんだなあと思った。

 とはいえ、当日全く緊張しなかったわけではなく、話をするまではやっぱりがちがちになっていた。でも想像していたよりは随分うまく話ができて、終わって席に戻ると、その二人の友達は、「娘のピアノの発表会を見ている母親の気持ちだった。」と笑った。「練習よりも上手だったよ」とも。


9.23(Mon)

 父方の祖父母のお墓参りに行き、帰りに彼らが生前住んでいた家に寄った。

 その家には父の長兄家族が住んでいて、数年前に亡くなった祖母の話をしているうちに、祖母がこまめに整頓していたアルバムを、長兄である叔父が引っ張り出してきてくれた。私たち孫の小さい頃からの写真や、お正月に集まったときの親戚の集合写真、叔父たちと訪れた旅行先の風景、がその主な内容なのだが、一冊、全く時代が異なるものがあった。

 祖父母の結婚写真にはじまり、父兄弟5人の幼少期の写真を集めたアルバム。

 ほとんどが白黒なのだが、あまりに鮮明に風景が、表情が残っているので、私はそのことに少なからず驚いた。プリントが違うためか、白黒であるためか、その理由を考えたのだが、それ以上に、一枚一枚、全てが大切に取られた写真だからなのではないか、と思うようになった。

 誰でもいつでも、写真が撮れるというわけではなかった当時、シャッターを押すその瞬間瞬間の集中力は、今とはちょっと違ったのではないか。ただの集合写真でさえ、構図がきちんと考えられているように見える。そして何枚も配置を変えて取られた、父たち兄弟の笑顔、しかめっつら、笑顔。前に祖父母家族が住んでいた公団のアパートで、祖母の後ろ姿を連写したポジフィルム。そっくりそのまま、今の時代に持ってきても違和感がなさそうな風景は、それが本当は50年も前のものだという感覚を少し狂わせてしまう。

 そして、父たち5人兄弟の一人一人の子供のころの顔は、それぞれ叔父たちの子供の幼少期と必ずそっくりで、なんだか笑ってしまった。


8.30(Fri)

 歯医者に行く。
 私は虫歯が多い。歯磨きが下手、ということだけではなく、おそらく、遺伝的なものもあると思う。おそらく。
 永久歯が生えてきた6歳のころから、6ヶ月に一度くらいのペースで、近所の歯医者に通っていた。入り口のガラスのドアを引くと、私の気持ちに反して陽気なチャイムが鳴った。麻酔の注射がなによりも怖くて、麻酔を打つか打たないか、それが分からず待たされている間、じっと見つめていた天井のしみは、今でも覚えている。ところどころ、穴があいてしまっていた、白い天井。
 ずっとお世話になっていたその歯科医院の先生が数年前に体調をくずしてしまい、そこで紹介されたところに今は通っている。前よりは大分、通う頻度は減っているものの、虫歯に成りやすいことは変わっていない。
 前の詰めものが取れてしまい、以前から気が付いていた虫歯も治さなくてはいけなかったので、意を決して今日出かけた。虫歯の方が割と大ごとで、結局麻酔をした。麻酔を打たれて横になっている間、さすがにこどもの頃ほど、麻酔を怖がってはいないんだな、とほっとしていたのだが、「うがいをしてください」と言われて起きあがったとき、気が付いたら手が細かく震えていた。な〜んだ(笑)。
 いつも歯医者を出るときに、「こんな思いをしないように、今日からきちんと歯を磨こう!」と意を決する。今日のこの決心が、いつもより長く、深く根付くといいんだけど・・・。


8.27(Tue)

 8月25日に、妹が下宿で飼っていたハムスター(のうちの一匹)が亡くなった。
 この間、妹が東京に連れてきたときには、大分やせて小さくなっていたので(当社比)、病院に連れて行ったりもした。毛並みがキレイだから、たぶん病気じゃないよ、そろそろおじいさんだから、と獣医さんにも言われていたのだが、妹からの電話で、彼が亡くなったと聞いたときはやはり「がーん」と頭のなかで音がした。本当に。
 巣の中に、あるだけの綿を引っ張り込んで、小さく丸まって固くなっていたという。たぶん老衰だね、と言い合う。私たちの親は、「動物を飼うと、愛着がわいて、亡くなったときつらい」と、ハムスター以上の動物を連れてくることを嫌がった(金魚はいたことがあったが、世話をしきれず、割とすぐに死なせてしまった)。そんなわけで、人間以外の「動物」を、家の中で意識する経験をしたのは今回が(ほぼ)はじめてだった。
 妹が実家にハムスターを連れ帰ってきている間、えさの時間に妹がいないと、私や母がブロッコリーを切って小屋に入れたり、テレビの音を少し小さくしたり、留守中も冷房を適温に保ったりした。小屋で音がすると、家にいるだれかが様子を見に部屋を覗いた。
 妹は、亡くなった彼を、友達と一緒にすぐに埋めにいった。がらんとした彼の小屋は、まだたためないという。妹が連れてきた間だけ彼らの様子をみていた私たちと違って、2年ずっと一緒にいた妹からすれば、なかなか気持ちの整理がつかないだろうと思う。
 私はといえば、なんだかぴんとこない、というのが本音。でも少なくとも、妹がはやく元気になってくれるといいなあ、と思う。


8.15(Thu)

 おととい、NHKスペシャルを観た。
 今日が終戦記念日なので、それに合わせて、ここ一週間ほど、内容は第二次世界大戦に関するものが続いている。おとといは、戦争末期に、台湾海上で起きた、日本とアメリカの戦いに関する話だった。実際はアメリカ軍にほとんど打撃を与えていなかったにも関わらず、希望的観測や海軍・陸軍の競争など様々な要因が相まって、戦果がどんどん誇張されてしまったという話。実際に攻撃に参加した人や、参謀にいた人たちの話、彼らの戦後の記述をつなぎつつ番組は進んでいく。
 当時の映像も使われていたが、それほど衝撃的なものはなかった。だが、胸をえぐられるほど、つらい気持ちになった映像があった。
 これから攻撃に向かう海軍の若者たちの、にこにこと笑っている映像。なんの曇りもない笑顔は、どんな残虐な戦闘場面よりもショッキングだ。
 私が戦争の話を聞くようになった小学生の頃、ただただ、「爆弾」や「空襲」が怖かった。話を聞いたり映画を観たりする中で、実際に人が死ぬことを想像し、頭の中が真っ暗になって、気が重くなった。夢で、自分が空襲の中を逃げ回るシーンを何度みたことか。
 でも今は、戦争の怖さというのは、たくさんの人を殺すことが「正しい」ことだと、多くの人が本心から信じてしまうということだと感じている。自分が自分の持つ武器を使って人を殺すことが「間違った」ことだと思いつきもしないということの恐ろしさ。戦争のときの映像を見て、それを感じることが多くなった。

 私の祖母は女学校時代、第二次世界大戦を体験した。アメリカの戦闘機を落とせると信じて、校庭で竹槍で突く練習をしたという。「あのときは本当に「飛行機が落とせる」と信じていたのよ。どう考えても、そんなことできるはずないと、今ならちゃんと分かるのにね。」


6.17(Mon)

 アメリカに一週間ほど行ってきた。
 私はこまごまとした、いわゆる今「雑貨」と呼ばれているものを見たり、買ったりするのがかなり好きなのだけれど、その中でもアメリカ特有の色遣いとか形に結構興味を惹かれている。すこしグレイを混ぜたような三原色や、ラバーやプラスチックを使った日用品、極端な幼稚性をこれでもかとつめこんだおもちゃを目にすると、つい手に取ってしまう。
 今回のアメリカ行きは目的が別にあったのだが、それが終わったアメリカ滞在の最後の日に、スーパーマーケットに出かけて「こてこて」のアメリカ産日用品を買うこともちょっと楽しみにしていた。のだがしかし。
 一週間近くアメリカにいて、アメリカの街や住宅地をあちこち見て、アメリカらしい叔父叔母の家に泊めてもらっているうちに、だんだんそのアメリカ日用品に対する見方が変わってきたのだ。あまりにアメリカの雰囲気にそれらの日用品がしっくりと馴染みすぎていて、日本にいるときに感じていた新鮮さや手に入れたいという欲求がどんどん小さくなってゆき、実際に念願のスーパーマーケットに足を踏み入れたときには、どういうものが欲しかったのか、そのイメージ思い出すことができなくなっていた。
 今こうして日本に戻ってきて、おみやげをみたり写真を見たりしていると、ああ、あれは買っておくべきだったとか、あれはなかなか良かったよな、とか思い出す。遠く離れてはじめて、あの国の雰囲気をつくっていた細かな部品の一つ一つの輪郭を認識することができるようになる。
 そして今また、あの国の色や形を求めて「雑貨」屋を歩き回っている。あふれるほどそれが周りを取り囲んでいた、一週間前の自分を不思議な気持ちで思い出しながら。


5.18(Sat)

 実家の近所にある、大型スーパーマーケットに、母と祖母が二人で買い物に行ったときの話。
 エスカレータに二人で乗っていると、「小さなお子さまは、危険ですから、エスカレータ中央付近にお乗せください」というアナウンスが聞こえてきた。祖母は、母を当然のように真ん中に移動させた。

 また別の日。私と妹が、祖母の家を訪ねた。後から、母が来ることになっていた。
 祖母は私たちにケーキを出してくれて、甘いものが大好きな妹は目を輝かせた。「でも、こっちのモンブランは、残しておかないといけないから、これ1つを二人で食べてね」と祖母。「お母さんがモンブラン大好きだから、後で来るなら取っておかないと」

 いつになっても、子どもは子ども、なんですね。


5.12(Sun)

 ここにいられて幸せだなあ、とふと感じる瞬間があり、そういう一瞬は記憶に深く残っている。
 昨日、仕事を一緒にしている人たちとインド料理屋でカレーを食べているときに感じたのが、一番最近の記憶。ほかにどんな記憶があるのかな、と帰りの道すがら考えた。
 遠くに住んでいる友達が家に泊まることになっていて、夜中の道を一緒に家に向かって帰ったとき。結婚披露宴の帰り道の電車のなかで、疲れて眠っている友達二人をファインダに納めたとき。祖父母の家に遊びに行って、たまたま持っていたノートパソコンを見せてみたら、彼らが思った以上に興味を示して、いろいろと質問してきたとき。夕方の商店街や、夜中、人気のない道を、好きな人と一緒に歩いたとき。一年間練習してきた舞台の幕が上がる前、そっと上手から客席をのぞいたとき。
 ひとつひとつは、ささやかな出来事だけれど、コレがたまにあるからなんとかやっていけているんだと思う。


5.6(Mon)

 いま住んでいる所は、再開発地区とやらに囲まれていて、あちらこちらで建物の工事が進行中である。大抵はアパートなのだが、ここから見える、最近私がつい目をやってしまうその建造物は、テナントが入る予定らしく、そっけないただの「直方体」の形をしている。
 そこの工事は、かなり夜遅くまで終わらないようで、例えば今日のこの時間(もうすぐ日が変わる)にも、蛍光灯の光がきらきらと見えている。全体の構造がやっとできあがった段階で、まだ窓どころか、壁もできていない。
 夜中に煌々と灯りをともしたその無機質な建物の中を、私は想像してしまう。しんと静まりかえった、がらんとしたフロア。将来カーペットが敷き詰められるだろう。歩くと響く足音。階段を上がっても、またおんなじ光景。窓になるはずの場所から見える夜景。
 と、突然最上階のフロアの電気が消えた。はっと我にかえる。じっと目をこらしていると、しばらくしてその下のフロア、またその下のフロアの電気が、同じように次々と消えてゆき、数分後には建物がみえなくなった。
 そのなかを歩いてみたい、と願いつつも、そんな暗いところを一人で歩き回るなんて、たぶん私には怖すぎてできないだろうと、一方で否定している。
 建物が完成したらきっと私はそこを訪れるだろうけれど、そのときには、いま想像している建物とは全く別の建物として、その様子を見るだろうと思う。


4.14(Sun)

 このあいだ、正月休みに友達と温泉地にでかけた。
 一緒に行った人は私を含めみんないい加減で、正月で旅行する人が多いと分かっているのに、半月前に宿の予約をした。すでにそのとき余っていた旅館が一つしかなかったことに警戒しなくてはいけなかったのだが、「予約できてよかったねえ」と呑気なことを言い合っていた。
 一度でも正月休みに旅行をしたことのある人は、この結果が簡単に想像できると思うが、温泉はさておき、その宿の食事はものすごかった。「さばければいいや」という経営者の思惑が細部にまでしみこんだ料理だった。茶碗蒸しは液体が分離していて、きちんと混ぜていないレトルトのコーンスープだと私たちは食べるまで思いこんでいた(実際なぜか、銀杏と一緒にコーンが入っていた)。煮物は味が薄く、どの料理にも何故かしめじが入っていた。やたらに大きい米茄子を包んだのアルミホイルは火にかけられていたが、いやな予感がして火が通る前にホイルを箸の先で開くと、イクラが茄子の切れ目に埋め込まれていた。「イクラって火にかけていいの?!」とびっくりして口に入れると、お菓子のグミのように歯ごたえがあって、いつまでたっても噛みきれない。こんな食事は経験したことがない。まだ、その修学旅行で行った、京都の宿で出てきた冷凍のハンバーグとエビフライのほうがましだ(これも相当ショッキングだったけれど)。
 その料理を私たちはどうしたか?文句を言って突き返した?
 そうしようと、はじめのコーンスープ茶碗蒸しでは確かにみんな思っていた。が、結局途中からあまりのひどさに馬鹿馬鹿しくなってしまい、何も言わずに見届けることになった。そう割り切ったら、全てが笑い話のためのネタになった。翌日の朝食バイキングも予想を裏切らず、窓一つない「朝食ご会場」と書かれた風通しの悪い部屋に入ると、シチューの濃厚な匂いが襲ってきて、私たちはまた吹き出した(前日の夕食にはシチューやシチューの素材になりそうなものなど一つもでていなかった。それなのになぜ朝食にシチュー??)。見たこともないメーカの、果汁1%のオレンジジュース、不思議な堅さの納豆、全く味のしないコーヒーまで、その「まずさ」の徹底ぶりといったら感心してしまうほどだった。
 さっさと宿を出て駅前に戻り、妙に都会っぽい喫茶店でコーヒーを飲んで、私たちはやっと一息ついた。そしてまた、料理のひどさを口々にののしり、大笑いした。乗ったタクシーの運転手にすら「あそこはだめだよ。ちゃんと調べて民宿を予約しないと」と言われ、また笑った。
 ひどい扱いを受けたのに、ずいぶんと楽しい旅行だった。一緒に行く人によって、旅先のことが楽しくなったり、つまらなくなったりする。こんな旅行だったらまた行ってもいいな、と思うけれど、やっぱりあまりまずいものばかり食べるのも本意じゃないなあ。とはいえ何の過不足もない旅行というのも味気ない気がして、なんとも複雑な思いである。


4.4(Thu)

 私は、人と電話で話をするよりも、メールで会話することが多い。そして、後者を通じて交わした言葉の方をより信用している。
 メールでの会話は、電話と違って文字として残るから、ということもあるけれど、それ以上に、メールの文面の方が、読んでいてその人の気持ちがしっかりと伝わってくるから、という理由の方が大きい。
 ただしそこには、一度、メールで会話をする前に何かの用で会ったことがある、という前提条件がある。会ったことのある人、話をしたことのある人だと、メールがどんなに粗雑な言葉でつづられていても、その合間に、話しているトーンや、気遣いが見えてくるのだ。
 昨年、とてもつらいことがあって、その時いろいろな人のメールが、私を引っ張り上げてくれた。他愛のない世間話や近況報告でも、自分のことを大切だと少しでも思ってくれている人の言葉は、その一言一言がほんとうにダイレクトに心に響く。
 逆もまた真なりで、どうでもいいや、と思っている人の言葉は、どんなに丁寧に書かれていても、すぐにそれが分かってしまう。電話だと、こちらも言うことを考えながら聞いているから、しっかりと会話を観察することはできない。メールは、(たぶん紙の手紙でもだめだ。すぐに返事がかえってくるという気軽さが欠けているから)それを時間をかけて見ることができるし、かみしめる時間もある。
 言葉は大切に使いたい。人当たりの良い言葉を覚えるというのではなくて、自分の考えていることを間違いなく伝えられる、そういう言葉をたくさんもちたいと思う。


3.24(Sun)

 朝目が覚めたとき、30秒くらい、いまの自分の状況がすっぽりと抜け落ちてしまっていることが多い。
 夢の中の自分を引きずっている場合もあるし、まったく真っ白、ということもある。えーと、としばし考えて、昨日までの行動をリプレイし、それから今日しなくてはいけないことを思い出していく。それからやっと、時計を見て、起きあがる。食事をしているころには、寸断などなかったかのように、ふつうに頭が動いているのだが。
 毎朝リセットがかかっていることに気が付いたのは数年前だ。それ以前にも、起きるときに同じようなことが起きていたのか、そうでないのかは思い出せないのだが、あの起きた瞬間の空白の30秒には、いつも慣れられず、なんとも不思議な感じがする。


1.5(Sat)

 たとえば1年前を振り返ってみると、1年後の今の自分の状況を想像していただろうか。学生ではなくなったころから、1年単位での自分の環境の変化が大きくなったように思う。
 ということは、いま当然だと思っていることも、時間がたったときに当然ではなくなっているかもしれない。逆に、いま「こうだといいな」と願っていることが、数年後に当然の自分の環境として存在しているかもしれない。
 そう考えると「まあ、なんとかなるだろう」と肩の力がいい具合に抜けるような気がする。抜けすぎるとそれはそれで問題ですが(笑)。

1 2 3 4 5 6 7 Wd8 9 10 rightLine

[ Writings Index ]

画像や音楽、映像ファイルの無断転用を禁じます。リンクフリーですが、リンクをはる際にはメールで連絡をください。>>yana@kt.rim.or.jp

Akiko Yanagawa Logo
Copyrights 1995-2004 Akiko Yanagawa