1 2 3 4 5 6 Wd7 6 9 10 rightLine

[ Writings Index ]

Write it down.
page 7
2001.1.1-12.12


12.12(Wed)

 プレゼントを贈るのが好きだ。もちろん貰うのも好き。
 プレゼントは、渡す人が何を受け取ると喜ぶか、それを考えている時間が一番楽しい。だから誰かにプレゼントをされたときも、それが何であったかというよりも、自分のために何を選ぼうかと考えてくれたと思い、そのことがとても私を嬉しい気持ちにさせる。
 ただ、その気持ちが一方通行な押しつけになってしまわないようにという、間合いの取り方は難しい。プレゼントした相手に、かえって気を遣わせてしまったりすることが分かると、その度にいかんなあ、と反省はしているのだが。


12.5(Wed)

 携帯電話を落として、3日ほど持たずに過ごした。私はあまり携帯電話で話をすることは多くなく、待ち合わせで行き違いそうなときとか、やむを得ない事情が起きた以外は、連絡はEメールですませている。ので、それほど依存しているつもりはなかったのだが、それは私の間違った認識だったようだ。そしてまた、そう言うときに限って「ああこういうときこそ携帯電話の出番」と思うような場面に多々出くわした。たった3日のだったのに。
 電話は出てこない。新しい電化製品への興味も手伝って、結局新しいものを買ってしまった。買った電話を設定しながら、こうして便利なものの存在に気付かないうちにに慣らされ、それに依存していくんだな、とつくづく感じた。
 先日、こどもニュースの放送に出ている子の一人が、ディレクターたちに尋ねた。「パソコンがなかったとき、みなさんはどうやって仕事をしていたんですかー?机に向かって、ボールペンとかで台本を書いていたの?」
 彼ら(中学生)にとっては、仕事=パソコンは当たり前の光景。そんな世代のこどもをみて驚く私たちも、きっと少し上の世代に、違ったところで驚かれているんだろうな、とつい考えてしまった。


11.20(Wed)

 Suicaを買った。(買った話ばっかり(笑)。)
 SuicaはJRのICカード。はじめに500円を払ってカードを買い、それにいくらかの金額をチャージしておけば、専用の改札の特定の場所にかざすことで、勝手に運賃の精算をしてくれる。イオカードと違うのは、使い終わったら捨てるのではなく、そのカードに繰り返しお金を足して何度でも使えることと、パスケースなどに入れたままでも改札の出入りが可能なこと。また定期とそのしくみが一緒になっているものもあって、定期でカバーしている圏外に出てしまっても、その分をチャージした金額から引いてくれるというのも、割と便利そうである。
 先日発売日にみどりの窓口に寄ったとき、どうしても欲しくなって友達と一緒に買ってしまった。なにか便利そうで、新しい仕組みを組み込んだものが発売になると、ついつい手を出してしまうのは、私の病気みたいなものである。
 最近ではもう一つ、Appleが売り出したMP3プレイヤも発表後に早速予約してしまったのだが、一緒にSuicaを買った友達もやはり既に予約したということだ。『類は友を呼ぶ』。


11.8(Thu)

 今年4月末に車を買った。紺色のヴィッツ。
 それまでは、父の車を使わせて貰っていたのだが、割と大きな車で、「父の車」ということもあり、結構緊張して乗っていた(一度ぶつけてドアを二枚取り替えたけれど...いや、緊張はしてましたよ、そのときも)。
 自分でお金を出して買った車、というのと、小さい、スペックもそこそこ、のヴィッツは、その「父の車」よりも、運転していてしっくりくる。たまに「父の車」に乗ると、そりゃあエンジン音が静かだったり、加速がスムーズだったり、シートがゆったりしていたりして気持ちがいいんだけれど、運転するとなると、分相応で安心する、という快適さの方が勝るのである。自分の手や足である、思うように操作できる、という安心感。

 このあたりが分相応、と理解することは難しいけれど、たぶん大切なんだと思う。車に限らず、服も、道具も、仕事も、人間関係も。分相応を知ると、その分相応ラインをどこまで上げようか、という計画を立てることもできるから。


10.19(Fri)

マルチメディアラボという、東京女子大学内のMacばかりを置いてある施設について、東京女子大学の「学報」11月号にコラムを書くことになって、そのために利用者にアンケートをとりました。私も一利用者だったので、同じようにアンケートに答えたのですが、その一部をここに載せておきます。
MMLというか、コンピュータを使って作品をつくる、ことに対して、今私が考えていることがまとめてあったので。


Macintosh、だけではなく、コンピュータは道具です。電話機と一緒。
電話機の機能がどんなに使いこなせたって、そんなことで重宝がられたって、結局話す相手や、伝えたいことがなければ、使わないですよね。でも、そういう用途があれば、使い方をなんとか覚えようとする。
コンピュータは、表現したいことを自分が想像している形に近づけてくれる、便利な道具だけれど、たまにそれがあまりに便利すぎて、自分が「こうしたい」という考えが薄らいでしまう危険性も持っています。
自分が伝えたいこと、表現したいことが何か、ということは、当たり前ですが自分が考えることで、コンピュータが考えてくれることじゃありません。そして、それを考えることが、作品を生み出す上で一番大切な部分です。

MMLには、プロでも買えないようなすごい機材がたくさんありますが、MMLの存在意義は、そういう機材を置いて自慢することでも、それを学生に買わせることでもありません。自分が考えていること、楽しそうだなーやってみたいなーと思っていること、を実現させるための手助けをするところです。機材や場所、知識を分け合うことで。
MMLを使って、いろいろな試行錯誤を繰り返すことで、自分が何に向いているのか、どういうことに興味を持っているのか、自分の作品は他の人の目にはどう映るのか、逆に人の作品を自分がどう受け止めるか、ということが、いろいろと分かってくるのではないかと思います。
卒業してから、MMLで経験したようなことは全然関係のない仕事に関わる人も多いと思いますが、これからの世の中で、コンピュータのない場所というのはどんどん減ってくるでしょう。自分が作品を作る側でなくても、意外にも作る側に立たされてしまったときにも、自分の力で何かを作ろうといろいろ考えた、という経験は、必ずどこかで生きてくるんじゃないかなと思います。

だから、MMLの機材で何かしたいと折角思ったのなら、Macのトラブルくらい何でもないよ、くらいまで是非つきあって欲しい、と私は思います(笑)。絶対そこまでしただけのものは、得られるはずです。

私は、Macintoshと知り合ったことでたぶん人生が変わりました。考え方も変わったし、自分が恥ずかしいなと隠していた趣味を、正面に掲げられるようになりました。いまとなっては、Macintoshのない生活というのは考えられませんが、MMLに、いろいろな貴重な人たちに、そしてMacintoshに出会えて本当によかったと思っています。



9.28(Fri)

 この人のこういうところ、すごいなあ、と思えることが、とても大切だということに最近気が付いた。仕事をするようになって、いろいろな人に出会い、それぞれの「すごいなあ」を目にすることで、自分が自信を持っていいことも、自分に足りないところもしっかりと見えるようになってくる。
 10年後にも同じことを大切と感じているといいなと思う。


9.22(Sat)

 先週の火曜日、夕食を食べてから友達の家に戻ったときに、アメリカの同時多発テロの映像を見た。とりあえず、という感じでTVをつけたときすぐに、なにかがおきた、という異様な雰囲気が伝わってきた。唖然として、その映像を見ていた。
 阪神大震災のときも、地下鉄サリン事件のときも、TVをつけた瞬間に「あ、これは何かあった」と分かった。内容を確認する以前にそのことに気がつくのは、TVに映し出されている映像に、いつもの楽観的な騒々しさがないからだ。私がTVを見ている時間数はおそらく少ない方だと思うが、それでも「TVはいつもそういう音に溢れている」と信じ込むくらいは、日本のTVに慣れているのだと思う。だからこそ、その雰囲気が異様だと気づくことができる。
 映像だけが流れていて、音やアナウンス、字幕が全くないことの、足下からはい上がってくるようなしんとした恐ろしさ。ただ淡々と、その惨状を映し出している、ということが、おどろおどろしいBGMや劇的な字幕をつけるよりなにより、その緊迫を伝えている。

 TVの映像に限らないかもしれない、と最近思う。例えば祖父母から、関東大震災の話を、第二次世界大戦の話を聞いたとき。教科書や授業で習ってきた内容(戦地で何があったとか、国民がこんなに貧しい思いをしていたなど)に比べ、彼らから少しずつ漏れ聞く日常的で些細な事柄の方が、その怖さを身近に感じさせる。
 出来事をメディアを通じて人に伝える、ということの難しさ。そして、それを情報源として強く頼ってしまうことの危うさを、しっかりと心に止めておきたいと思う。メディアとは、「媒介」、必ずそこに人の意志が絡んでいることも忘れるべきではない。


8.23(Thu)

 台風が来る、という騒ぎにも関わらず、昨日プールに行く。
 水泳は、着替えたり体が濡れたりという面倒なプロセスさえクリアしてしまえば、なんとも心地良いスポーツだと思う。体が浮いた瞬間、私はいつも、内蔵が「正しい位置」にきちんと並ぶ図を想像してしまう。今までだらんとしていた胃が、膵臓が、肝臓が、あるべき場所にすっぽりはまって、次第に正しいリズムを刻み出す様子を。
 いつも通っている辰巳の水泳場は、国際大会も行う立派な施設で、メインの50mプールから、埋め立て地に残された林や、ひろびろとした運河が見渡せる。目標としては、このプールで休みを入れずもくもくと自由形で流したいところだが、今はまだ、選手がいつもウォームアップするサブプールで、50m自由形+150m平泳ぎを、休みつつ繰り返すのが精一杯だ。(メインプールは、この「目標」を楽々とクリアしている人たちが泳いでいるため、流石にその流れには入れない。)
 通い始めた昨年は、50mを自由形で泳ぎ切ることもできないほど体力が落ちていたので、多少は進歩しているらしい。来年には、メインプールデビューできる、かな。


8.16(Thu)

 お台場の、テレコムセンター近辺に、少し変わった雰囲気の建物が林立している場所がある。お台場は、今住んでいる家から車で10分という近所なので、買い物などで割と頻繁に出かけるのだが、その度にその一帯のことが気になっていた。先日夜に通りかかったときに車を止め、いったい何なのかと確認をしたところ、「国際研究大学村」であることが分かった。滞在する人のための、大きなレジデンスや、「日本科学未来館」という博物館もある。(これがウェブページ。国立だったんですね。。。)
 ということで、この博物館を先日のぞいてきた(写真はその外観)。たてものの中の細かいところにもいろいろと凝った部分が多いし、吹き抜けも高くて開放的だったのだが、人が多かったのと、ちょっと嫌な予感がしたので、企画展示のチケットは買わず、常設展示の入館料500円で館内に入った。
 展示室の雰囲気も、かなり力が入っていた。内容も、面白そうと思わせるものが多かった。が、説明のパネルを読むと、
 ....難しい。
 ロボットを動かしたり、モデルを触る、ICカードの便利さを体験する、等のコーナもあるのだが、「遊ぶ」ことはできても、そこからその仕組みを理解しようとすると、結構な忍耐力を必要とする。お客さんは子供が多かったのだが、説明のパネルは、子供に読めないような漢字も多かった。説明も、基本的な物理や科学の知識が(中学生くらい?)あることを前提に進めているように思えた。
 ほとんどの子供は、少しビデオの再生ボタンを押していじってみて、そのまますぐに次のパネルへと移動してしていく。よーく読んでみると、面白い内容の展示も多かっただけに、「もったいないなあ」という印象を、いろいろなところで受けた。体験型の展示ブースに人だかりができていて、熱心に説明を読んでいる姿はあまり見かけなかった。
 「調整中」の張り紙が多かったのも、ちょっと驚いた。お盆の時期に調整中って...それだけコンスタントに動かしておくのが難しい機材なのだろうか。でも今の時期に動かないのって、ちょっと...。
 夏休みが終わってからもう一度行ってみようと思う。光ファイバー情報伝達のしくみの説明と、ショウジョウバエの性行動の説明は、(理解するのに時間がかかったけれど)割と面白かったし、秋には新しい展示もはじまるらしい。

 調整中でないといいのだが。


6.13(Wed)

 インドの優秀な技術者を、最近日本の企業が一生懸命連れてこようとしている、という話を朝のニュースで見た。しかしやってきたインドの技術者たちは、日本で仕事をし、生活することに対して、多くのストレスや不安を覚えているという。
 日本は他のいわゆる「先進国」と違って、英語が使えない。日本語は難しい。また、ベジタリアンの多いインドの人たちにとって、ほとんどの料理に肉が使われていることも、苦痛な場合が多い。また、これは前に他の番組で見たのだが、彼らの文化(たとえば宗教とか)に対する理解が低いこともあるという。
 インドの技術者を多数引き抜いてきている会社の、担当者のインタビューが最後を締めくくった。「インドの人たちは、引く手あまたなので、条件が合わないとすぐに外資系の企業に引き抜かれてしまうんですよ」
 ....担当者、分かってないかも。

 おなじようなことを、小泉内閣が発足した直後のこんな騒動で感じた。
 自由党の議員が、国会で質疑をし、その内容に対して、メールや電話で抗議が殺到したということがあった。その議員の資質が疑われるような発言で、それがあれだけ繰り返しテレビで放映されたら、そりゃまあそうなるだろうな、と思っていたら、当の議員は「首相の支持率が高いと、批判をしただけで反響が大きくて大変ですよ」というようなことを、苦笑しながら話していた。

 こういうときって、どう反応していいか、困っちゃいますが、割と身の回りにも多いんですよね。自分もそうならないよう、気をつけないと...。


6.5(Tue)

 大多数の人が支持していることそれ自体が、その人・商品の宣伝になるという勘違いは、いろいろなところに転がっているな〜、と思う。なにか理由があるから、いろいろな人の支持を集めるわけで、きちんとその理由を理解している人は、「たくさんの人が買っているから、あなたも買ってください」という、的はずれの宣伝はしないものだ。
 人気が出てしまってからのその後の宣伝の仕方で、本当にその製品や、発信元である企業をあてにしていいか、判断できると思う。人気が出たことで、逆に価値を下げてしまったものもたくさんありましたよね。


1.10(Wed)

 友達からふいに手紙がきたとき。大切な人たちに、何を贈ろうか考えながらお店に入るとき。気に入っている作家の新刊を、本屋で見つけたとき。新しい電化製品を箱から出して、説明書を読まずに動かしてみるとき。おいしいと事前にわかっているレストランでメニューを広げるとき。室内から大雨の音を聞いて、窓の外をのぞくとき。新しく買った服がぴったりだと分かったとき。車に乗って発車するとき。
 私のつくった作品をみた人が、「おー!」とうれしそうに声をあげるとき。「この人はプロだ...」という仕事ぶりに出会ったとき。

 最近幸せと感じる瞬間でした。
 今年も少しずつこのページを増やしていきます。


1 2 3 4 5 6 Wd7 6 9 10 rightLine

[ Writings Index ]

画像や音楽、映像ファイルの無断転用を禁じます。リンクフリーですが、リンクをはる際にはメールで連絡をください。>>yana@kt.rim.or.jp

Akiko Yanagawa Logo
Copyrights 1995-2004 Akiko Yanagawa