chapter 1 | chapter 2 | chapter 3
[ Writings Index ]

ESSAY
Chapter 3
2001.10.9-

窓枠の中の部屋
旅行記:日光
活字中毒
なつかしい、という気持ち


窓枠の中の部屋


 そのトイレは恐ろしく汚くて、例えばそれが町中で見かけたトイレだったら、「家に帰るまで我慢しよう」と思わせるのに十分な代物だった。どうしても家まで我慢できず、そこで用を足すことになっても、そんなトイレのことを十数年もたっても覚えているというのは、希なことだと思う。それなのに未だにその存在を覚えていて、しかもこうして書き留めようと思うのは、そのひどいトイレが逃げ場所に思えたほど苦痛だった、塾での授業の退屈さのせいだろう。
 私は、中学校に入るとき、私立中学校の入学試験を受けた。そのために、小学校3年生の3学期に入塾テストを受けて、それから6年生の2月、「本番」である入学試験が終わるまで、近所の進学塾と、週に一回模擬試験を実施している大手塾の2つに通っていた(大手塾は回数や居る時間も少なかったので、あまり記憶がない。以下の「塾」は、近所の塾のことを指すと思ってください)。はじめは好奇心と、それまで習っていた水泳を辞めたいために自分から言い出した塾通いだったのだが、行きだしてまもなく後悔した。
 いままで当然のように手の中にあった「遊ぶための時間」がみるみる削られて、その代わりに長い時間机の前に座っていなくてはいけなくなった。長い時間同じ場所にじっとしていることがとにかく苦痛だった上、近所の塾の、狭くて人の密度が高い、プレハブの壁で仕切られた「教室」の空気も、私を滅入らせた。先生に名前を呼ばれて、間違った答えをしてしまうかもしれない、という緊張感をずっと持ち続けなくてはいけないのもきつかった。
 その苦痛から逃れる一つの手段が、「トイレに行くこと」だったのだ。ほとんど掃除がされず、トイレットペーパーの芯がいくつか転がっていて、汚物入れは山盛りで蓋が閉まらず、苦手な和式のトイレだったとしても、「教室」よりもよっぽど居心地の良い場所だった。窓を開ければ外の空気が吸えるし、先生に答えを言えと「当てられる」心配もない。私はそのせまい空間で、いつももたもたと時間をつぶして空想にひたっていた。

 そんな私が、いつその窓枠の中に部屋を見つけたのかは覚えていない。
 ただ、そのトイレの存在と一緒に、通りをはさんだ向かい側の窓の向こうに、ある部屋が覗けたことを覚えている。確かトイレの窓は高いところにあって(仮にもトイレだから常識的に考えて低いところに窓はないだろう)、敢えて除かないと外は見えなかった。トイレの窓と向かいの家の2Fの窓がちょうどおなじくらいの高さで、よくその窓が開け放たれていることを知ってから私は、そっとその窓から向かいの窓枠に切り取られた部屋を見るようになった。
 その窓は閉まっていることもあったが、大抵あいていたように思う。夏でも、冬でも。電気がこうこうとついていて、いつもカーテンが開いていた。二つの窓を隔てる通りが狭かったため、手を伸ばせば届きそうなところにその部屋はあった。
 明らかに子供部屋だった。あまり広い部屋ではなく、二段ベットが奥に、お互いに背中を向けて置かれた勉強机が手前左右の壁に向けて置かれていた。二つの椅子は、赤いチェックの布地が掛けられていて、蛍光灯の下でその人工的な色が鮮やかだった。コンクリート色のふわふわしたカーペットは、おそらく畳の上にに敷いてあったのだと思う(奥に襖が見えたから)。特に散らかってもいなくて、清潔という印象もない。
 ただそれだけの光景だ。そして(幸運にもというべきだろうが)一度もそこに人がいるところを私は見なかった。いままで誰かが居たであろう気配だけを、その窓枠の中に見ていた。
 そして私は、いろいろ想像をした。女の子二人が(椅子のカバーの色と雰囲気でそう思った)背中を向けてせっせと宿題をしているしているところや、鉛筆をけずるところ、机の上のジャポニカのノート、その上の白い消しゴムのカス。机の中に仕舞われた匂いつきのポケットティッシュ、寝る前に天井からぶら下がる蛍光灯からの紐を引っ張って電気を消す瞬間、あわただしくハンカチをつかんで走り出ていく朝。
 書き出してみるとストーカーみたい(笑)。
 同じ年代の、同性の子供の生活の様子を想像していたというのは、どうも変な話だ。ただ今考えてみると、想像していたその部屋の姉妹の様子とは、私が望んでいた、あるいはそうあるべきだと信じていた小学生の女の子の生活だったような気がするのだ。夕方たっぷり遊んで家に戻り、ごはんの時間まで宿題をして、家族とごはんを食べ、食後にテレビを見て、明日の教科書と、一本ずつ丁寧に削られた鉛筆をきちんとランドセルに詰めて、その日のうちに眠るという生活。夕方おなかを空かせながら塾の濃密な空気の中で過ごし、真っ暗な中をおやつを食べながら友達と家に帰り、ひとりでごはんを食べて、学校と塾の宿題を夜中まで半分眠りながらなんとか終え、やっと布団に潜り込むとすぐ朝で、いつも遅刻しそうになりながら学校に行き、忘れもの表に×印をつけられるという私の毎日に、私なりに違和感を感じていたのかもしれない。
 とはいっても、塾に通っていた自分の小学生時代を、薄暗い記憶だと思っているのではない。結局目的であった私立中学には受かったし、塾には塾の友達や、好きな先生もいた。塾のたいくつな時間があったからこそ、私は小学校での時間を大切に思うようになった。ただ、塾やそれにまつわる自分の不満や違和感とうまくやっていくために、そのトイレに逃げ込むこと、その窓から見える部屋の中に私の想像の世界を作ることは、大きな役割を果たしていたのだと思う。
 私が通っていた近所の塾は、昔の場所にはもうない。ただおそらく、向かいの家はまだあるのではないかと思う。そう簡単に家が建て変わったり、住む人が引っ越したり、急激に発展してすぐに雰囲気が変わるような地域ではないのだ。
 でもどう考えてもあの部屋はもうあのときの様子ではないだろう。覗くトイレの窓がないのだから、今となっては確認のしようがないという事実はすこし残念だが、それはそれでよかったのかもしれない。さすがにこの年で、トイレの窓からあの家の中を覗くわけにはいかないから。

2001.10.9



旅行記:日光


 何年ぶりだっただろう?ええと、小学校6年生のときの、「移動教室」以来だから・・・14年ぶり、だ。
 先月、日光に一泊で遊びに行ってきた。
 いろは坂をVITZでがんばって登り、まずは予約したホテルのある、中禅寺湖畔を目指す。近くに車を止めて、その中を30分ほど散歩する。雨が降ったり止んだり、の天気も手伝って、寂しく、気怠い雰囲気。観光のシーズンでもなかったので、人はまばらで、中禅寺湖で釣りをする人や、気が向くと客寄せに精を出すおばちゃんが、中禅寺湖のまわりにぽつんぽつんと見える程度。
 伊達巻きのような大きさにきつく巻いたゆばを、そばの上にのせた「ゆばそば」なるものを食べながら、私と友人は結構、この雰囲気が気に入ってしまった。中禅寺湖が一望できるホテルは、こざっぱりしていて、料理も美味しかった。近くの高級ホテルのお風呂に入りに行き、ビールやワインを飲んで酔っぱらい、よく眠った。





 翌日はチェックアウトをしてから朝、竜頭の滝をみに行った。「マイナスイオン!」と友人が何度も言い、私たちは笑う。
 そして日光東照宮へ。参拝券6枚つづりがワンセットで売られていて、それを手に入れたからには、と張り切り、私たちは4時間も日光東照宮で過ごしてしまった。有名な観光ポイント(眠りネコとか、サルとか、鳴き竜とか)よりも、たぶん大半の人が見ずに帰ってしまうであろう、他のお堂や仏様の方が面白かった。三仏堂の建物の中に鎮座する仏様(8mほどもある!)を目の前で見られたことが、今回一番印象深い。木の上に貼られた金箔のテクスチャまで、しっかりと見ることができた。解説をしてくれたお兄さんの話も、押しつけがましくなくて、とてもわかりやすかった。

 ちなみに、14年前に訪れたときの東照宮の記憶は、東照宮へ続く、表参道の景色だけ。ポンチョを着て、クラスメイトとふざけながら雨の中を歩いた。眠りネコも、お堂の様子も、全く憶えていない。
 小さいころに、価値があると言われるものを見ても、私だけではなく、ほとんどの人がそれを正面からきちんと見てはいないだろう。ある程度ものを見る目ができてからそれを見れば、その人なりの価値が見いだせるものもある。「あれはもう見たぞ」という事実だけの記憶は、そういうチャンスを少なくしてしまっているんじゃないかなあ、と、そんなことを考えてしまった。

 一通り観光をして、日光(東武日光)の駅前で食事をし、お土産ものを買うことにした。予想はしていたけれど、スーパーマーケット的なお土産物やさんの店内に、並ぶもの(イチゴを被ったキティちゃん(栃木県だから)とか、サルのキャラクター商品とか、紅葉まんじゅうとか・・・)の中から、欲しいものを探すのはとてもムズカシイ。
 友達はゆばと、漬け物を買っていた。私は、仕事場の人たちにゆばまんじゅうを購入。きれいにラッピングされたこの手のお菓子は、防腐剤がたくさん入っていて何年ももつんだけど、同じ味しかしないんだよな〜、と思いつつ。
 それからそのお店を出て、おばあさんがぽつん、と店番をしている、彫り物のお店に入り、小さな日光彫りの鏡を買った。すごく気に入った茶筒があったのだが、9000円・・・ま、そうですよね。

 とても満足して帰路についた。「日光、もう一度行ってもいいかも」と友人が言う。私も同感。楽しかった。

 翌日ゆばまんじゅうを仕事場に持っていく。一つ私も食べたけれど、やっぱり・・・(笑)。まだ普通の温泉まんじゅうのほうがよかったかも。

2003.7.3


活字中毒


 小学生のころ、どちらかというと、漫画の方が好きだったけれど、文字だけの本も嫌いではなかったと思う。漫画はお年玉かお小遣いをためて少しずつ買い、文字だけの本は学校の図書室で借りて読んでいた。
 漫画と、文字だけの本の読書量がひっくりかえったのは、高校の3年生の夏休み。大学受験のために勉強しなくてはいけない、というプレッシャーを(やっと)感じ始め、私は図書館に入り浸ることにした。図書館で机に向かっていれば、ほかにすることがなくて勉強もはかどるだろう、というのが通い始めた理由だったけれど、学習室よりも、書架の間を練り歩く時間の方が増えていった。図書館で手に取るだけでは気が済まず、貸し出しカードの上限ぎりぎり、10冊の本を毎週抱えて家に帰り、勉強そっちのけで次から次へと読み漁るようになった。
 いろいろな人の、いろいろな本を読んだ。エッセイも、私小説も、たまに少し前の時代の「名作」も。次第に自分の好きな文章や、違和感を感じない世界を作り出してくれる人を絞れるようになり、その人の文章、とくに小説を読む時間がとても大切なものになった。
 気に入った人の小説や読んでいるとき、その作品のための空間が自分の体の中にぽっかりとでき、私の意識はその空間の中に入ってゆく。そこは、そとの世界から厚い壁で隔てられていて、しんとしている。心地よいその空間で、私はその登場人物になったり、その人たちの近くにいて話を聞いていたり、同じ雨に打たれたりする。そんなわけで、小説を読んでいるときに、だれかに突然声をかけられたり、目的の駅に着いたことにはっと気が付いたりして、本から顔をあげて周りを見回すとき、その空間から「現実」の世界に意識を戻ってこさせるまでの間、ちょっと不思議な気持ちになる。突然夢から醒めた時みたいな気持ち。
 漫画を読んでいるときにも、もちろんその作品のための空間ができる。でも、それは私の外側に広がってゆく。もくもくと頭の後ろの方から雲がでて、その中に広がる空間を頭のてっぺんに感じている。映画やTVドラマもそう。それは私の外にあって、小説を読んでいるときみたいに、その中に自分がいる、という感じはしない。「現実」に戻ってくるまでにかかる時間も、小説のそれよりはるかに短い。文章に比べて、漫画や映画などは情報量が多くて、想像する自由が小さいからなのかもしれない。登場人物の顔や背景、雰囲気が自分ではない人に固定されてしまっているから、自分がつくった世界、とは思えないのだと思う。へえ、とすこし離れたところから、その世界を鑑賞する格好になる。
 日々、電車に乗って仕事に行くとき、私は自分の本棚から「今日の一冊」を選ぶ。選ぶのは、漫画でも雑誌でもなくて、小説。電車に乗っている間、あの空間の中へ入ることができる、と思うと、寒い空の下を歩くことも、億劫に感じる移動も、その時間を盛り上げるための大切な助走に見えてきて、あらゆることを楽しみに変えることができるからだ。助走が長いほど、飛べる距離は高く、あるいは遠くなるとすら思い、うきうきと駅へむかうことが出来る。
 しかし、「今日の一冊」が薄くてすぐに読み終わってしまったり、どこかに忘れてきてしまったりすることもある。そのことに気が付くと、途端に心細くなり、そわそわと手持ちぶさたになる。そんなときには気を取り直して、何が何でも本屋を探し出して飛び込む。店内に踏み込むとき一瞬、自分の部屋の本棚に入りきらず積み重なっている本の山の形や、「活字中毒」という言葉がちらりと脳裏をよぎるのだが、気が付かなかったふりをして、連綿と続く背表紙の文字を目で追いはじめる。
2004.2.8




なつかしい、という気持ち



 そのとき、私は友だちとと4人で、静岡を歩いていた。
 JRが主催している、さわやかウォーキングというオリエンテーリングのイベント。疾うに商品をもらえる時間は過ぎてしまっていたが、もらった地図を片手に、ひたすら冬の道を歩いていた。
 ふざけたり、話をしたりすることにもそろそろ飽きて、まわりの空気が少し青みがかってきたころ、私たちは大きな道に出た。そもそも廃線になった電車の線路跡の道を歩いていたのだが、途中道を少し間違えてしまい、その穴埋めをするためにとったルートがその県道だった。
 車がびゅんびゅん音を立てて通り過ぎていく道の向こう側は、だだっ広い野原。すすきも生えていた。その奥に田圃やカステラのように見えるあっさりした団地が覗く。遙か向こうには繁華街があるらしく、パチンコ屋や大型店のネオンが遊園地のようにぴかぴかと光っている。
 そのとき私の頭のなかに、「なつかしい」という言葉がふと浮かんだ。と同時に、違和感を憶える。
 私は東京の下町で育ち、東京に住んでいる。親戚の家も、東京都両国と横浜の住宅街。どこをどう考えても、この静岡の田圃やすすきに囲まれたうらさびしい景色に、親しみを感じる理由が見あたらないのだ。

 もう少し考えてみる。なつかしいという気持ちについて。
 友だちとバスに乗って、2泊3日のスキーツアーに参加した帰り道のこと。ぐうぐう眠っていたシートではっと目が覚めて、窓の外をみると高速道路のわきぎりぎりに建てられた団地。白々とした和室のなかに、小さな和室が見えた、あのとき。
 昔よく通っていた図書館に足を踏み入れて、想像よりも低い本棚や、記憶通りのカーペットの汚れ具合に気が付いたとき。
 土曜日のお昼過ぎ、近くの家からただよってくる、ソース焼きそばの匂い。
 そう、たぶんこれが、本物の私の「なつかしい」。自分がいま何歳なのかが分からなくなって、その景色から目を離せなくなってしまう。
 いま静岡で感じている「なつかしい」はもっとぼんやりとした感覚だ。ここにいたかもしれない、という既視感。
 あるいはもしかしたら、こういう景色はなつかしいとよく描写される、という、他の人の知識が私の中に植え付けられているのかもしれない。
 なんとなく釈然としないまま、それでも少し冷たい風を気持ちよいと感じながら、遠くの繁華街を目指して私は足を進める。もういちど、ススキに隠れたカステラ団地を目でとらえながら、友だちの後ろをついていく。
2005.1.1


chapter 1 | chapter 2 | chapter 3
[ Writings Index ]

画像や音楽、映像ファイルの無断転用を禁じます。リンクフリーですが、リンクをはる際にはメールで連絡をください。>>yana@kt.rim.or.jp

Akiko Yanagawa Logo
Copyrights 1995-2004 Akiko Yanagawa