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ESSAY
Chapter 2
1997.1.14-1998.5.17

ハタチ
マルエツ閉店
お化粧のはなし
バスに乗るということ


ハタチ


↑もらったお花。
写真が下手だからフィルターでごまかす。

 今月のはじめの誕生日で、ハタチになった。年末、ロスのメキシカンレストランで叔父たちに祝ってもらい、帰国して例年よりも額の多いお年玉袋に驚き(お年玉+誕生祝いに加え、成人祝いがプラスされたから)、新学期に友人にプレゼントを貰い、ついでに先日ももんがの新年会でお花を貰った。

 こう書き出してみると、幸せなことにハタチをあちらこちらで祝って頂いているのだが、私自身がハタチを実感したのはつい昨日のことである。なんてことはない、定期を買っただけなのだが、年齢を書いてみてからしみじみと20という数をながめてしまった。

 ああ、十の位が1の時代は、もう終わったんだなと思った。

 ちょっと振り返って、まだ記憶が鮮やかな高校生の自分と今の自分を比べてみる。表向きは大して変わったようには思えない。でも、自分のこれからについての願望や見通しは、あの頃とは大分変わった。聖書の時間に、隣の席の友人とひそひそ言い合っていた将来の話を思い出すと、今は苦笑するばかりである。友人の方はどう思っているだろう。今度聞いてみたい気もする。


↑友人に貰った時計ミカエル。

 今朝、母が着物の入った棚を開けて、晴れ着を引っぱり出していた。着物なんか着ない面倒くさい、と私が言い、あらそう、と母もそのことを大して気にしていなかったのだが、祖母の控えめな希望が、結局私と母の気持ちを動かしてしまったらしい。区の成人式には行く気はないのだが、来月あたり写真だけは撮ることにした。

 その旨を祖母に電話で伝えると、いい記念になるわよ、と少し嬉しそうだった。後になってその写真を見るとき、あの頃はあんなことを考えていたなあと、私はやはり苦笑しているのかもしれない。


1997.1.14


マルエツ閉店


 マルエツが閉店することになった。私の住むマンションから、歩いて3分もかからない場所にある2F建てのスーパーマーケットで、確か私がここに引っ越してきて間もなく出来た覚えがある。

 私が幼稚園に通う頃から住むこの町はマンションの立ち並ぶ新興住宅街である。当時はそこから少し離れたところに西友があるだけで、他には食料品を売る店はなかった。レストランも勿論コンビニエンスストアもないマンション街のど真ん中にマルエツは開店した。

 一番マルエツに関する記憶が鮮やかなのは小学生の時だ。自分で買い物に出かけられるようになり、親に頼まれた買い物だけではなく、遠足のお菓子や友達の誕生日プレゼント、バレンタインのチョコレートと私たちが買い物にいく為の機会に事欠かなかった時期である。そんな行事で一斉に2丁目に住む同級生たちがマルエツに集った時、普段一緒に遊ばない隣のクラスの子や、気になっている男の子と顔を合わせるのも私にとってはちょっとした楽しみだった。

 小学校を卒業すると私は電車で通学するようになり、マルエツを食料品の買い物以外で利用することは少なくなった。1Fは食料品や日用品、2Fは衣料品や文房具、生活雑貨を扱っていたので、2Fへのエスカレーターにはほどんど乗らなくなった。その頻度は年を重ねるにつれて減り、今では病気で家に張り付いているときぐらいしか行かない。

 17年の間にマンションばかりだったこの町も大きく変わり、数店のコンビニエンスストアやモール、会社も増えた。(いまだにレストランは何故か少ない。)選択肢が広がった分、2丁目に住む人たちがマルエツに足を運ぶ回数は減っているだろうが、昼時には働きに来る人たちで店内が真っ黒になってしまうほどの混み具合である。これを横目で見て私は、マルエツはこのままここにずっとあるだろうという確信を持っていて、そのことに安心感を覚えてもいた。在り来たりな言い方だが、自分の思い出の多い場所は、多少の変化はあっても後に昔を思い出せるような状態にあって欲しい。そんな一方的な要望が保証されているとそう思いこんでいた。

 マルエツは開店の数年後にダイエーグループに合併されたのだったと思う。店の名前は変わらず入り口のマークが取り替えられていたのを見て、その訳を親に聞いたのでよく覚えている。このごろの不景気でダイエーが苦しいらしいという話を聞いてはいたが、それが直接こういったかたちで目の前に表れるまで、私は二つの事実をくっつけて考えなかった。ダイエーグループが苦しいらしいことと、マルエツがそのダイエーグループの傘下にあることをである。

 閉店セールをしているという話を聞いたので、今日歯医者の帰りにふらりとマルエツに寄った。エスカレーターに乗って2Fに上がるとあちこちに赤い「売りつくし」のポスターが貼られていて、もうフロアの半分ほどが閉鎖されていた。セール目当てに来た客と、明日にでも閉店してしまうのかと思わせるほど慌ただしく片づけをする店員とで、いつもでは考えられないほど活気づいていた。その間を縫ってぶらぶらと商品を物色したのだが、ひとつの場所にまとめられた洋服や靴はなんだかとても安っぽく見えて、書き直された値札や3割引という文字を見ても手に取る気にはなれなかった。結局何も買わずに階段を下りると、踊り場に「長い間のご愛好ありがとうございました」という大きな紙が、他の「お知らせ」の紙に混じって貼ってあった。

 1Fを横切って出口に向かうとき、よく利用した写真屋のおじさん(絶対に顔を覚えられているという確信があるので、今ではどうもそのカウンターの前を通るときに顔を伏せてしまう)や、汚れた緑の公衆電話が目の角を通り過ぎた。入り口の近くの酒屋は、もう床材も剥がしてしまっている。

 マルエツの後には何ができるのかと、家に戻った私は母と考えを巡らす。3Fから5Fに入っているクリニックや歯医者、カルチャーセンターは特に移動する様子もないので、ビルはそのままで中身だけかわるらしい。恐らく違うチェーンのスーパーマーケットが入るのではないか。場所的にもそれが一番有効な使い方だろうから。

 でももし次にスーパーマーケットが出来たとしても、あのマルエツ以上の思い出を私に残すことはないだろうと思う。つかずはなれずといった感じで付き合ってきたものの、こうして振り返ってみると沢山の風景とその後ろにぴたりとくっついたそのときの私の気持ちや状況が、際限なくずるずると引き出されてくるのを感じる。よくスーパーマーケットの掲示板に貼ってある「お客様の生活に密着した」という言葉を何となく思い出す。貼った人の言わんとするところとは明らかに違った意味で、私はこの言葉と私の中でのマルエツの存在を重ねる。まさにその通りだったと今になって思う。

 品薄になったマルエツは、3月2日で閉店する。

1998.2.20

*後日談*
 この場所には結局、ベストというスーパーが入りました。1999.10.24

*さらに後日談*
 ベストというスーパーも撤退し、いまはチェーン展開している居酒屋がどーんと2Fぶちぬきで入っています。おどろき。2003.7.3



お化粧のはなし--やながわの場合--


 一年ほどまえに東京女子大(以下東女)にはじめて来たある男友達に女子大の 第一印象を尋ねたところ、化粧が濃い、という答えが返ってきた。彼に変わって弁解をするわけではないが、それは別にそのことに対して嫌悪感を表すような言い方ではなかった。化粧が濃いことが好きとか嫌いとかそういった個人的な意見なしに、ただ「空が青い」とかいうのと変わりない口調で「化粧が濃い」と単に感想を述べただけだったと思う。私はちょっとびっくりした。よくワインのラベルで「甘い」「辛い」をの間を五分割してその度合いを示しているが、それと同じように化粧の「濃い」を5の側に「薄い」を1の側に置くとすると、東女は3ぐらいにあたると私は考えていたからだ。

 まる3年東女の中にいて、その環境に慣れてしまったからそう考えるのかも知れない。よくよく見回してみると、顔だけではなく頭のてっぺんから足の先まで「きちんと」している人が多い。私は東女以外の「大学生の女の子」とこの3年間あまり接触する機会がなかったのでその「きちんとした」恰好は東女に限ったものなのか、それとも一般的に「大学生の女の子」はだいたいそのくらい「きちんとし」ているのか、その辺りの尺度を持っていない。ただ、その私の男友達の通う共学の某大学では、女の子はほとんど化粧をしていないしもっとラフな恰好をしていて、だからそれに比べると東女の女の子は「化粧が濃い」印象を受けたという。

 私はというと、その男友達が見慣れている女の子に近いんじゃないかと思う。どれくらい近いかは見当もつかないが、少なくとも東女の女の子との距離よりは短いだろう。東女に入学した3年前に比べると、化粧をする回数も少しは増えたし、たまに「きちんとした」恰好もするようになった。でも大半は高校の時と同じ様に(高校は私服だった)、ジーンズとシャツみたいな恰好でうろうろしている。化粧も増えたと言っても月に5日くらいしかしない。その化粧も、していても気付かれない事の方が多いような化粧である。恰好に関しては、そんなわけで東女の中では疑いなく浮いている。

 以前シカゴを訪れたとき、アメリカに住んでいる従妹の要望でいくつか大学を見てまわった。ひどく広いキャンパスで時たますれ違った学生の恰好をみて、そのときから私の恰好に対する考え方が(ますます)おおらかになった気がする。遊園地のような遊びに行く場所では大人でもほとんどノーメイクで、トイレで化粧直しをする光景も見られなくて、何だかとてもほっとしたのを覚えている。妙な話だが、遊園地のトイレに入ってみんな遊びに来ているんだなと改めて実感した。

 そのときの安心感は今でもしっかり覚えていて、私は周りの目を気にしてとか義務感から化粧をすることはめったにない。大体自分のために化粧をする。単に気分転換をしたいときもそうだが、自分で自分に渇をいれたいとき、例えば徹夜明けとかどうしても気持ちが前向きにならないとき、それと意識的に気持ちを引き締めなくてはいけないときに、化粧をする。ほんの数分の間、精気のない見慣れた顔が余所行きになっていく間に、どんどん気分が変わってくるのが自分でも良く分かるのである。

 大学に入ってから1年ほどの間、遠回しに「きちんとした」恰好をした方が、あるいは少しぐらい化粧をした方がいいといったことを言われた憶えがある。でも先に述べたアメリカでの経験と、食堂で化粧の上に化粧を重ねる大勢の同級生のその行為や意見の間の、深い溝を私は感じないわけにはいかなかった。自分が化粧をしたい、という自発的な理由ではなく、化粧をしたほうがいい、という外からの考え方のために、重ね塗りなんかしたら肌が荒れることは分かっていてもこうやってみんなは化粧をしているのだろうか。そう考える度に私はかえって意地になって絶対に化粧なんかしない、と心に誓っていた。

 自分の意志ではなくても化粧をしたほうがいいだろうと考えて鏡に向かうことが、今はそんなに苦痛でもないし不自然とも感じなくなった。でもやはりそういう場合以外で、あまり化粧をしたいとは今でも思わない。

 前に東女の友達が、付き合っている相手に自分のノーメイクの顔を見せるなんて恥ずかしくて出来ない、と言ったことがあった。だから相手が目を覚ます前に急いで寝起きの顔に化粧するのだと。その話を聞いたとき、化粧って一体何のためにするんだろう、と結構考えてしまった。今の私は前述したとおり、化粧は基本的に自分のためにするものだと考えているのだが、あるいはそんな考え方は、恰好に関して私が東女のなかで浮いているように、日本の世間一般からみると変わった考え方なのかもしれない。

1998.4.27


バスに乗るということ


 大抵の人は、大学生になったときに周りの環境ががらりと変わるという経験をしていると思う。私みたいに相変わらず自宅から通っているものと、秋田とか福井とかから出てきて一人暮らしをしている人ではその変化の度合いは全然違うかもしれないが、私は私なりにいろいろな変化を経験してきた。カルチャーショックみたいなものもあった。そんな些細な私の経験した変化の中に、バスに乗る時間が増えたというものがある。

 東女は西荻窪と吉祥寺のだいたい真ん中にある。歩くと10〜15分くらい。歩けないことはないのだが、このごろは大抵バスを利用している。またよく寄る友人の家への足がバスだということで、たぶん週に5〜6回は利用しているのではないかと思う。吉祥寺の辺りはJRと西武新宿線、西部池袋線が平行に新宿から延びているのだが、その一本一本の間を南北に移動する電車はない。例えば今地図を開いてみて、吉祥寺からその北にある上石神井への電車でのルートを探すと、吉祥寺からJRで新宿まで出て、山の手線で高田馬場まで行き、西武新宿線で上石神井、というものしかないのだ。そんなわけで吉祥寺近辺を南北のちょっとした距離を移動したい場合、どうしてもバスを利用しないわけにはいかない。

 はじめの頃は不便だなあと思っていた。バスの路線は沢山あるし、大抵のところへはそれで行ける。だから別に実際は不便なわけ(道路の混み具合でどうしても時間に正確には来られないのは仕方ないとして)ではない。ただ私がバスを多用する生活に慣れていなかったからそう思ったのだろう。それまでの私の生活にバスはほんの少ししか存在していなかった。

 電車は勝手に乗って勝手に降りる。それに運転手と隔離されていて、接点がない。それに比べてバスは、人と人の物理的・精神的な距離が近い。電車の距離感にすっかり慣れてしまっていた私は、バスに乗ると何だか常連客ばかりの喫茶店に入ってしまったような居心地の悪さを感じていた。「あらー久しぶり」とおばあちゃんたち同士が話をしたり、運転手に「ありがとうございます」なんて言われる乗り物に自分が乗ることをそれまでは想像すらしなかった。まあこれは地域性もあるとは思うが。

 でもそんな居心地の悪さを感じていたのはほんの一月くらいのもので、今では電車に乗るよりもバスに乗る方が楽しいと感じるようになった。町の様子を間近に見られるから飽きないし、狭い道路をするすると絶妙のハンドル裁きで走ってゆく運転手の技も見られる。運転手。運転手といえば、バスとバスがすれ違うときに運転手同士が交わす挨拶を見たことがありますか?敬礼みたいに軽く挨拶をするのを偶然見て恰好良いと思い、それから必ずすれ違うときには見るようにしているのだが、最近どうやらこれはポーズが決まっているわけではないようだ、ということが分かってきた。そして、敬礼タイプの挨拶はマイナーらしいのである。手を振ったり指を指したり瞬間芸をやっている運転手も結構多い。それまで真面目に運転しているので、突然芸をされるとかなりびっくりする。もしかしてこれはサービスの一環だったりして。「今週の芸」を朝みんなで練習していたり....なんてことはないか。でもこれは一度注意して見てみる価値があると思いますよ。

 そんなわけで最近すっかりバスの方が好きになってしまい、いづれ家を出て暮らすときにはバスがたくさん走っているところに住みたいなあとそんなことを考えている。バスしか走っていない、という状況を望むところまではまだ至っていないのだが。

1998.5.17

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